つづき、パート③ 約6200文字
積み荷が右へ左へと滑り流れている。
油断すればゼノたちも荷台から振り落とされかねない揺れ具合だ。ゼノは急いで手すりにしがみつき、前方を見る。
そこには馬がいる。この馬車の二頭の馬たちだ。
どうやら、その馬たちが暴走したようだ。さきほどよりもスピードをあげ、二頭が互いにぶつかりあいながら走っている。
「ちょ、馬! もっと大人しく走って‼」
手すりから振り落とされそうになりながらゼノが叫ぶ。
一方、エドルもゼノ同様、前方をみて、
「…………なんの冗談だ?」とつぶやいた。
それもそのはず。
前方、馬の背には木の棒がくくりつけてあり、棒の先端には糸。さらにその糸にはニンジンが、ちょうど馬たちの鼻のあたりにぶつかるよう、つるされていた。
一瞬、エドルが怪訝そうな顔をしたが、すぐに何かに気づいたようで、荷台へと走っていった。そのさい、まるで馬鹿を見るような目でゼノを一瞥していった。エドルは揺れる馬車のうえを走り、馬のたずなを握る。
「くそっ」
たしかによく考えればそうだ。ゼノは荷台に立っていた。馭者に扮していたのだ。だというのに、なぜ誰もそれに気がつかなかったのか。
そう。荷台に馭者が立つ間、馬たちはいったい誰が走らせていた?
「────っ」
言いようもない焦りと苛立ち。剣を突きつけられていたとはいえ、そこまで考えが及ばなかったのは痛恨のミスだ。
エドルはたずなを力強く引っぱった。馬たちを静止させるために。
しかし、完全に暴走した馬たちはそのまま全力で走っていく。
そして。
「「ぎゃあああああああああああ」」
ついに馬車が転倒。全員、草原に投げ飛ばされた。
「いつっ……」
草がわずかに生えた、土だらけのうえで、ゼノは頭を抱えながら起き上がる。
そのすぐ横で、エドルも体を起こし、呆れ顔で口を開いた。
「馬鹿なのか、お前は」
「や……馬の鼻先に人参がどうたらって、この前、本で読んだから、実践してみたんだけど……」
「それは作り話だ。それで走る馬はいない」
「…………」
「…………」
両者しばしの沈黙。ゼノは気まずくなり横を向いた。そんなゼノの耳にエドルのため息が聞こえてきた。
「まぁ、いい。とりあえずは生きている。それだけでも運がよかっ──」
立ち上がったエドルの言葉を遮る声がした。
「動くな!」
低音の、野太い声にゼノもエドルも動きをとめる。
声の主、王子の首に剣をつきつけた男が立っていた。
「王子!」
マズイ。失敗した。安全を確保してからにすべきだった。
ゼノは内心焦る。もちろん相手に焦りを悟られないよう、注意を払いながら。
「おい。傷を負わせずにつれていくのが条件ではなかったのか?」
エドルがわずかに顔をしかめながら、賊の男へ言った。
「うるせぇな! 少しくらい平気っつーか、すでにボロボロなんだよ! それよりさっさとそのガキ、始末しやがれっ」
その言葉にエドルはそばに落ちていた剣を拾い、「投降しろ」と言ってゼノの首へ剣をあてた。
「そうすれば、命までは取らない」
「…………」
どうやら殺す気はないらしい。だが。
男が叫ぶ。
「馬鹿野郎! さっさと殺しちまえ! んなガキ、生かしといても邪魔なだけだろーが!」
「──だ、そうだ。死ぬ気はあるか?」
「ない」
「だろうな。流石に俺も同志を斬るのはごめんだ。できることなら殺したくはない」
「同志?」
同志とはなんのことだろうか。
思い浮かぶとすれば、騎士学校時代のことくらいか、ゼノは疑問を口にする。
「騎士学校のことか?」
「違う」
エドルは短く答え、
「──シオン様」とだけ言った。
──シオン・ソラス・ユーハルド。
それは、ユーハルド王国第三王子の名。
ライアス王子の二つ上の兄。母親が違う兄王子。
その、懐かしい名にゼノは彼の第三王子の姿を思い出す。
夜空のような黒髪に、春空のようにあたたかいスカイブルーの瞳をした少年だった。
わずかに眉をよせたゼノに、エドルは目を細め、思い出すように亡き王子の話を語った。
「お前は元々、第三王子、シオン様付きの補佐官候補だった。それもシオン様自らの推薦で、お前はあの方に選ばれた」
「────」
そうだ。シオンが王となり、自らはそれを支える王佐になると。
そんな、約束だった。
だから五年前、騎士学校を辞め、面倒な教育を城で受けた。
シオンを支える補佐官に、ゆくゆくは王を支える王佐になるためにと。
「なぜだ、ゼノ」
エドルがぽつりと言った。
「──騎士と文官。形は違えど、自身を必要とする主君が現れ、主に忠誠を捧げる。そんな、物語のような騎士の姿に、当時の俺はお前を羨ましいと思っていた」
彼はつづける。
「だから、お前の行動が理解できない。ユーハルドの騎士にとって、主は生涯でただひとりのみ。たとえ主君を亡くしても、別の者へ仕えることなどありえない。だというのに、なぜお前はここにいる? なぜライアス様のもとへ来た」
独白に近い、エドルの心情。彼の声は次第に怒りをはらんだ声へと変わっていく。
「そんなにも、王佐の地位が欲しいのか?」
「………………」
そんな彼の言葉を、ゼノは静かに聞いていた。
エドルの言ったそれは、かつて騎士学校の教官が幾重にも話していた言葉だった。
剣は二星につかず、だったか。
剣は騎士を表し、星とは光輝く王のこと。つまり、騎士はふたりの王にはつかない。
そういった意味であり、古い、もう廃れたユーハルドにおける騎士の教えだった。
「……はぁ」
くだらない。
(何を言っているのやら)
そもそもこの身は騎士ではない。
だからそんな大層な騎士道なんてものも、持ち合わせてはいない。
さらにいえば、そんな古い騎士の教えを、いまどき忠実に守る騎士などいないだろう。
ゼノは心中で思った。だが。
「…………約束を守るため」
ゼノはその問いに答えた。地面についた手に力をこめながら。
「約束?」
それは何か──とエドルが言いかけるも、中断される。
ゼノがぐっと彼の剣を掴み、そのまま立ち上がったからだ。
「おい────っ!」
血が、ぽたぽたとゼノの足元へと落ちていく。
熱い。刃を握った手がジクジクと痛みを叫んでいる。
あぁ、痛いなと考えながら、エドルの「馬鹿か、お前」と焦った声をきき流し、ゼノは剣から手を放す。
「────」
ひとまず、これだけは言っておきたい。ゼノは口を開いた。
「エドル。オレは騎士じゃないから、騎士道だとか言われてもよくわからない。それからお前の言う、忠誠心なんてものも持っていないよ」
なにせ、シオンを主君だなんて思ったことは、一度もないのだから。
「それと、王佐の地位が欲しいかだって? いいや。どうでもいいね、そんなもの」
なぜなら、地位なんてものはただの飾りだから。
「面倒だからな。政なんて結局は、貴族様どもの権力の見せ合いだ。それにいちいち振り回されるのはごめんだし、そもそもオレに腹芸とかは向いていない」
そうだ。出来ることならば、王宮のごたごたなんかに関わらず普通の生活がしたい。
いつだってそう思っている。それでも。
「ならばなぜ。お前はここにいる?」
エドルがゼノに疑問をぶつける。
それを、だらだらと流れる自身の血を眺めながら、ゼノは答える。
「誓ったからだよ。いい国を作るって」
「いい国だと?」
「そう。馬鹿な話だろ? アイツ、民全員が笑って暮らせる国が見たいんだって。そんなこと無理に決まってるのにな」
そもそもの話。現王が治世をひくこの国は、すでに『いい国』だ。
苛烈を極めた戦乱は随分もまえに終わり、いまは穏やかな御代が続いている。たしかにときおり、各地で小競合いはある。が、それでも争いがあったという事実を誰もが忘れつつあるほどには平和な御代だった。
──でも。
「前に、アイツが言ってた。ユーハルドは強者の国だと」
「強者?」
「あぁ。オレはユーハルドは豊かでいい国だって思うし、シオンじゃないから、よくわからない。だけど、この国に住む連中が、誰も彼も幸せかと聞かれれば、そうじゃない」
「……それは当然だろう。なにを当たり前なことを……」
エドルが眉間に皺をよせる。
「そう、当たり前だ。でも、アイツはそれが嫌だと言ったんだ。日陰のない国がいいと、そう言っていた」
「………………」
本当に馬鹿な話だ。
国である以上、光もあれば闇もある。ましてや『全員が幸せ』という結果は土台無理な話だろう。
しかし、シオンはそれでは嫌だと言った。
とうぜんだが、本人だって夢物語だということはわかっているはず。なにせ賢い奴だった。
だからそう話していたのは、きっとアイツなりに、国の闇をはらいたかったのだろうなと思う。
「そんなわけで。オレは死んだアイツの夢を叶えたい。だからここにいる」
シオンのいう、馬鹿な夢を叶えるため、こうして面倒な文官をやっているのだ。
少しの間。風が通り抜けた。そしてエドルが息を吐いた。
「……なるほど。言い分は理解した」
だが、と彼は続ける。
「シオン様はもういない。仮にお前がそれを実現したところで、彼の御方が喜ばれる姿を見ることはできないと思うが……それでも、お前はその夢を叶えるというのか?」
エドルが少し、表情を曇らせながら言った。
それにゼノは応える。
「当然だろ。だって友人との、約束なんだから」
それは、いつかの言葉だ。
『みんなが笑って暮らせる国に』
そんな国を作りたい。
いつか自分が王になったとき、隣でみていてほしい。
そう、語っていた。だから約束した。
わかった。お前が王になったとき、オレはその隣にいるよと。
それがもう──叶うことのない約束だったとしても。
夢のように消えてしまった誓いだったとしても。
ゼノが頭上に手をかかげた。
瞬間、あたりに強い風が吹き荒れる。
「…………風?」
エドルが驚き、目を見開く。
「腕輪は彼女に渡していたはず。魔導品なしで魔法だと……?」
本来、異郷の血を引く者しか使えないといわれる魔法。
その魔法を、とじこめた物が魔導品であり、誰でも魔法が扱えるようになる。
だからいま、それを持っていないゼノが魔法を使えるはずなどない──と、驚くエドルの周りを、風がびゅうびゅうと音を鳴らす。
次第にそれは姿を変え、竜巻に、この場にいる全員を風の檻へと閉じこめた。
ほとんど嵐のような音しか聞こえないその中で、唯一ゼノの声が響く。
「──使えるよ。そもそもあれは壊れてるんだ。フィーに貸したものは、オレ自身の魔力が込められてる」
「魔力を込める……だと? そんな芸当、異郷の血をひくものでさえ……」
「さぁな。オレは拾い子だからよく知らない。ただ!」
ゼノが走る。
王子のもとで、この状況にうろたえている賊の男を蹴り飛ばし、その安全を確保する。そして。
「ちょっとコントロール効かないからっ、全員歯ァ、食いしばれ!」
直後。ぶわっと風の塊がエドルと賊の男の身体を襲った。
周囲を渦巻いていた風が、一気に渦の中心に集まってきたからだ。
「────っ」
息ができない、目を開けることもできない、それほどに強く吹き荒れる風。
その中を、小さな影が移動する。
一瞬エドルの目にうつったそれは。旋風の中で姿を現す、その姿はまるで。
「『鎌狼』」
ゼノの声が風の中を走り抜ける。
「こんな旋風が吹く日、鎌狼が通るってアイツが言ってたっけ」
エドルの前に、鎖鎌を持った少女が現れた。
この分厚い風壁を、破ったその鎌狼は。
賊どもの身体を切り刻み、まるで、風の刃に傷つけられたような跡を残す。
「ナイスタイミング! フィー」
エドルと賊は倒れ、ライアス王子誘拐事件は終幕を迎えた。
「すみません! 王子。危ない目に合わせてしまいました」
賊を捕らえあとの街道で、ゼノは王子へ頭を下げた。
賊の剣を向けさせてしまった失態と、エドルの思惑に気づかなかったことに対してだ。
「いや、構わない」
どうやら王子は気にしていないらしい。
彼は相変わらず表情が読めない顔で「ところで」と切り出した。
「先ほどの話は本当か? 王佐になるため、余の補佐官になったと」
「え? まぁ……」
王子の補佐官だということは偶然だけど、とゼノは思うがそれは言わないでおいた。
「ふむ……。そなた兄上の従者だったのか」
「違います」
ゼノは即座に否定する。
従者と言われるのはなんとなく嫌だった。
「それで、王佐になってお前は何がしたい?」
王子が聞く。だが、それに対する答えをゼノは持ちあわせていなかった。
「『何』、ですか」
(そういえば具体的に考えたことはなかった気がする)
何をしたいか。それは言いかえれば『どんな政をしたいか』という問いだ。
正直ぴんと来ない。
なぜなら光を支えるのが補佐する自分の役目であり、決めるのは王たる光であるからだ。
「そ、うですね……」
答えに悩む。そんなとき。
────皆が笑って暮らせる、良い国にしましょう。
思い出す。その言葉を。
誰もが夢や希望を持ち、笑顔で暮らせる国。
それはどんな王でもなしえることができないだろう、無理難題だ。
シオンの父であるレオニクス王にもできなかったこと。
それを成し遂げたいとシオンは言った。ならば──
「えっと……誰もが笑顔で、希望に満ちた国作り、ですかね?」
「そうか」
王子はやはり興味がなさそうな声で言う。そして──
「合格だ」
「え?」
「明日より正式に余の補佐官に任命してやろう」
それだけ言って、王子は倒れている馬のもとへ歩いて行った。
(合格⁉)
「あの! 待ってください!」
いま、なんと言った。『正式』に補佐官にすると言ったか。
ゼノは王子の言葉を聞いて、目を丸くした。
「いいんですか、本当にっ」
「構わぬ。ちょうど退屈していたところだしの。お前のその、ケーキのように甘い夢想話に余もつきやってやろう」
(ケーキって……)
たとえがだいぶ変わっている。いや、それよりも急にどうしたのか。ゼノにとっては王子の変わりように疑問でしかなかった。その答えを王子が馬を撫でながら話す。
「──兄上は」
「え?」
「シオン兄上は、余にゴモクを教えてくれたのだ。退屈しているのなら、どうかと言っての」
「はあ……」
王子の背中を眺める。正直、ゼノには言葉の意味がよくわからなかった。
ユーハルドの王族は、同じ母親以外の兄弟姉妹とは距離をとって暮らす。もちろん面識くらいはあるだろうが、シオンが他の王子たちと親しかった話は聞いたことがない。
「そろそろ帰るぞ」
「え、はい」
ちょうど遠くからいくつかの馬の足音がする。
きっとサフィールの部隊が駆けつけてくれたのだろう。
ゼノがそちらを見れば、フィーが彼らの部隊を先導しているようだった。
「…………」
赤い、燃えるような陽が眩しい。目を細めながら、ゼノは思う。
(見ていてくれシオン。必ず、その夢を叶えるから)
──ユーハルド、春の季節。
未来の王とその王佐は出会った。
多くの詩人たちは王の武勇を歌うだろう。
だがこれは、数多の英雄のように語り継がれる話ではなく、
吟じられることも、唄われることもない王の影の詩。
王佐ゼノの物語だ。
以上!いわゆる最初に書いたプロト版というやつです。
こっちのほうが途中でエドルの視点が入っていたりと、小説というより漫画に近い感じかなと思います。え!馭者がゼノだったの!?という。
でもでも実際にネームにするとたくさん省く箇所も多かったり。