※第一章冒頭のつづき パート②(約8300文字)
──バン!
机が大きく揺れる。
「兵が出せない⁉ ふざけるな!」
「そう言われてもな……我々も急に配置を動かすわけには……」
「いやいや、王子の誘拐事件だぞ!」
ゼノは軍部に来ていた。
王子を助けるため、兵を動かすよう話にきたというのに、受付の男は「駄目だ」の一点張りだった。よって、軽い口論が起きている。
「仕方なかろう? ただでさえ豊穣祭の警備で忙しいというのに、街道の見張りもあるんだ。最近、賊や獣の被害が多発しているからな。街道の安全を確保せよとのお達しだ」
「だとしてもだ! 緊急事態だろうがっ」
「うるさいな。わかっている。いま非番の者たちを呼んでやるから少し待っていろ」
受付の男はいかにもめんどくさい、といった顔で椅子から立ち上がった。
「いや、待って! 非番じゃなくて、各地区に配置している兵を動かせばいいだけの話だろ!」
「無理だ。今はサフィール殿下が森狼討伐のため、南街道に出ておられている。此度の指揮は殿下がなされているのでな、勝手に兵を動かしては怒りを買うやもしれん」
そう言うと、男は近くの兵を呼びとめ、指示を出しはじめた。
「………………はぁ」
今は豊穣祭の最中だ。
通常よりも警備が厳しくなりため、そのぶん、兵たちが忙しいことはわかる。
しかしこれは王族の誘拐事件だ。
本来ならば全軍をあげて、捜索にあたる話であり、門前払いの対応などあり得ない。
(話には聞いていたが……ここまでか)
宮廷でも軍部でも、王子の評判はかなり悪い。
理由はなんというか、まぁ、呆れるほどに馬鹿馬鹿しい話ではある。
「あのさ。その対応って第四王子だから?」
ゼノが言った途端、受付の男が振り向き、バツが悪そうな顔をした。
「いくら庶民出の妃の子だからといって、それは無いだろ。この国の王子だろうが」
そう。王子は第三妃の子供。つまり妾の子だ。
さらに爵位を持たない平民……いや、素性の知れない娘だったらしい。
王がどこからか連れてきて、娶った女だという話だ。
表向きは伯爵家の出身になっていても、それはあくまで書類上の話であり、噂は流れる。
「馬鹿を言うな! 我々はお前たち文官とは違う! 下らぬ階級差別などない! 騎士を愚弄する気か!」
男が顔を赤くしながら怒鳴った。
「騎士ねぇ……」
(捜索に全力をあげないあたり、がっつり差別してんだろうが)
呆れつつ、ゼノは男の髪を見た。
髪の色と眉の色がまるで合っていない。金髪に黒眉。カツラなのか、地毛なのかは今一つ判断できないが、合わせる努力はしたほうがいい。
そこで、男が舌打ちをした。
「──まったく。いくら亡き騎士、アウル殿のご養子だからといって、好き勝手がすぎる。いきなり来て、兵を動かせなどと……。今回は聞いてやるが、次はないと思え!」
男はそうを言うと、踵を返し、どこかへ歩いて行った。
その背を見送り、ゼノもその場をあとにする。
「………はぁ、めんどくさ。これ、助けられなかったら、完全にオレの責任だよな──ってなんだあれ?」
軍の対応に疲れながらも、ひとまず外へ出ると、フィーが謎の奇行に走っていた。道行く人々が、ひそひそと彼女を見ている。
(なにこの恥ずかしい状況!)
ゼノは地面に突っ伏すフィーに声をかけた。
「あの……何をしてるのかな?」
「ライアス探してる」
なるほど。よく分からない。
そもそも彼女と話すこと自体、ゼノにとってこれが三度目だった。
一度目は配属の挨拶。二度目は「あ、お茶飲む?」だ。当然、ゼノが淹れた。
「フィー、鼻。鋭い。ゼノ遅いから、一人で探す」
「いや鼻って……」
フィーはふんふんと、地面に鼻をつけ、王子を探しているようだ。
ちなみにこの少女は親衛隊の中で一番の古株らしく、親衛隊長を務めているのだが、一体何歳から所属していたのかと思う見た目をしている。
それにしても、これはとめるべきだろうか?
地面を嗅ぎ回る少女の対応に、ゼノは悩みつつも、あたりを見渡した。
「あれ? ………エドルは?」
「検問」
彼女はひとことだけ言って、検問所を指でさした。
軍部は正門のすぐ近くにある。よって現在ゼノたちがいるのもそのあたりだ。
「あぁ、なるほど。賊がかかってないか、確認しに行ったのか」
さきの人さらいは巡回兵に渡した。子供も同様に兵へ預けた。
母親はそのうち見つかるだろう。あとは王子を探すだけ。
ゼノは門の前をぼんやりと眺めた。今日は正規の検問所の他に、仮設されたいくつものテントが出ているらしく、どこも混んでおり、人がごった返しになっていた。
「検問か……」
列をなす行商人や観光客。荷物を確認する兵士や役人たち。
流石に賊も検問でひっかかるほど間抜けではないだろうが──
(ん? 待てよ……)
ゼノはあることに気がついた。
視界の先には馬にまたがる兵士が見える。どうやら連絡用の早馬らしい。
おそらくは先ほどゼノが伝えた件を、サフィールのもとへ伝えに行くのだろう。
兵士は、検問所の役人にひとことだけ何か言うと、その前を素通りしていった。
荷物の確認はしていない。
(…………あ)
つまりはそういうことだ。検問とはあくまで『一般市民』に対するもの。
対象は王都を行き来する民間人だ。商人や観光客、王都市民などが該当する。だから、兵士や政務官などの、公的な立場の者には行われないし、貴族にも行われない。前者は政務が滞るからで、後者は苦情がくるからだ。
「そうか!」
「ん?」
フィーがゼノを見上げる。急にゼノが声をあげたものだから驚いたようだ。目を丸くしている。そんな彼女にゼノは言った。
「なぁ、フィー」
──検問しない荷車って何だと思う?
ユーハルドの西街道。
土埃をあげながら、街道を走り去る馬車があった。
「おら! さっさと急げ!」
「す、すんません」
馬車に乗っているのは柄の悪そうな男と、馭者の老人だ。それからその周りを、数人の男たちが囲うようにして、馬で並走しているのがみえる。そしていましがた、柄の悪そうな男が馭者へ怒鳴り、その肩を蹴り飛ばしていた。
そんな様子を、もうひとりの乗合人、茶髪の青年がため息をつきながら眺めていた。
「まったく醜い……」
青年はふたりを見た。
男に蹴られ、背中を丸めている馭者は、薄汚れたマントを羽織り、しばらく整えていなかったのだろう、ぼさっとした白髪頭に、もさっとした長い髭をたくわえた、なんとも醜い姿の老人だった。
一方、男のほうは、片目がつぶれたいかつい顔つきに、老人と同じく薄汚れた衣服を身にまとっている。こちらの姿も醜い。いや、それ以上か。おそらく多くの悪事に、手を染めてきたのだろう、その風貌はまさに悪人そのものだった。
「やめておけ。苛ついたところで、馬の速度は変わらない」
青年が男をとめる。
その言葉に男はちっと舌打ちをすると、渋々といったようすで馭者を蹴るのをやめた。
「んで? どうよ、追っ手の気配は」
男が、馬車の後方を確認する青年に声をかけた。
「特にはないな。このまま街道を抜ければ指定の村へ着くだろう」
青年は、次第に遠くなる王都を眺めながら、男の言葉に答えた。
「へへ。今回の仕事が成功すりゃあ、俺たちゃ、金持ちになれる。盗人家業からも足が抜けられるってもんよ」
ニヘヘ、と気持ち悪い笑みを浮かべて、男は木箱から降り、青年の隣へ移動した。
「協力してくれたあんたには感謝するぜ!」
男がぽんっと、青年の肩を叩いた。
青年はそれを不快に思ったのか、眉をよせながらつぶやいた。
「……いや。俺も今の待遇には不満があった。単に利が一致しただけのこと。気にするな」
「待遇? あぁ、そういや兄ちゃん。騎士団に入りてぇんだっけか」
ぽりぽりと男はフケの多そうな頭をかきながら、思い出したように口を開いた。
「安心しな。あの依頼人、ありゃあ、かなり高ぇ身分の使いだぜ? なんたって、提示された額がよ、もう高いってのなんの……」
そこで男が再び、にへらーと顔を緩め、
「きっと王の騎士団くらい、たやすく推薦してくれるだろうさ」
と、その大きな口を開けて笑った。
「…………」
王の騎士団。ユーハルドの兵は部署によって呼び名が変わる。
国王の護衛部隊が『騎士』、王以外の王族の親衛隊が『護衛官』、それ以外は兵士とか軍人とかと呼ばれている。だから兵たちの中には、『騎士』と呼ばれることを目標にしている者も多かった。
「まぁ、騎士様もカッコいいと思うけどよ。俺ァ大金もらって遊んで暮らす方が楽しいと思うぜ?」
「…………」
青年は男の言葉に何も答えず、やはり遠くを眺めている。そんなとき、ちょうど馬車と並走する誰かが慌てたようすで男を呼んだ。
「お、お頭ぁ!」
「んだよ、騒がしいな」
「前方! 狼の群れです!」
「あん? 狼? 森狼か」
男は誰か──おそらくは男の部下、からの報告を聞き、その懐から筒状のスコープを取りだした。
「ひぃふぅみぃ……あー、結構な数いんな」
スコープ越しに前方を見る男。そんな彼に、部下たちが指示を仰ぐ。
「どうします? 迂回します?」
「ちっ。面倒だな。軍どもはなにしてやがる。ここは西の本街道だろ? なんで駆除してねぇんだよ!」
男は相当イラついた様子で、荒々しく言葉を吐き捨てた。
そんな男たちの会話を聞き、青年はざわざわと嫌な感覚を覚えた。
同時に、頭の中にとある姿がよぎった。
「貸せ!」
青年は男からスコープを奪う。その顔はひどく青ざめている。
「お、おい!」
青年の隣で、男が「なんだよ急に」と驚いているが、それどころではない。
スコープ越しにみえる森狼、およそ二十匹はいるだろうか。
数自体はそこまで多くはない。そもそも彼等は数十もの集団で行動する生き物だから。
だが──
「──フィネージュ殿か」
青年は少女の姿を目にとらえ、つぶいた。
「あん? フィネー…?」
男がぽかんと間抜けな顔をした。
同時に、青年は荷台に置いてある弓を取った。
「おい、馭者。すぐに進路を変え、最速で駆けろ。それから、お前達も弓を用意しろ」
「お、おい。別に森狼ごとき馬で蹴り飛ばしちまえば……」
「無理だ。奴らの中に鎖鎌を持った少女がいる」
「鎖鎌?」
「あれだ」
青年が指をさす。そのはるか先、狼たちに囲まれるようにひとりの少女が立っていた。
流れる雪光の髪。陽光に照らされたその髪はキラキラと輝いている。
その美しい髪の少女が、鎖鎌を持った腕をかざす。
すると、狼の群れが一斉に青年たちの馬車へと駆けだしてきた。
「な! なんだありゃ⁉ 狼どもを従えている……のか?」
「あれはライアス様の親衛隊長だ」
「は⁉ あんな小せぇ嬢ちゃんが?」
驚く男をよそに、青年の指示通り馬車は進路を変え、ぐるりと左へと曲がった。
南へと進路を変えたらしい。車体はその反動で大きく揺れる。
「おい! 急に曲がったら危ねぇだろ!」
男が怒鳴る。それに「すんませんっ」と焦った声で馭者が答える。
「後ろか」
青年は荷台の後方に立ち、弓を構えた。
さきほど前方にいた狼の群れは、車体の進路を変えたことで後方から追いかけてきている。
それに、キリキリと矢を向ける青年。
こげ茶の前髪が風に流れ、ビュン──と風を斬る音がひとつ鳴る。
かなりの剛弓だ。
数百メートルは離れているだろう、森狼の頭蓋を打ち抜いた。
「ひゅー、兄ちゃん! やるな。この距離で当てるとか、かなりの腕前だぜ」
「……大したことではない」
青年はそのまま二射ほど弓をひき、少女を射抜くことに集中した。
少女は狼たちを先導するように、その先頭を走っている。
「おいおい……あの嬢ちゃんマジかよ……どんな足してんだ?」
男が唖然とした顔で少女をみた。
それはそうだろう。だって彼女は狼に乗るわけでもなく、その脚で、獣と同じ速さで走っているのだから。
「まぁ。ガキひとりだ。大したことはねぇよ。おい、てめぇら! 弓で足止めしろ!」
「「へい!」」
馬車のまわりを並走していた男の部下たちがその場に留まり、追いかけてくる森狼へ矢を放つ。
「────」
それを見て青年は眉をひそめた。
「おーい! 油断して喰われんなよー!」
男の声に、彼の部下たちが「へーい!」と笑って答えた。
それはおそらく油断。
森狼は比較的小さい部類の狼だ。そこまで大きくはない。気性も穏やか。だから人に危害をくわえるといっても小さな家畜を襲ったり、食べものを奪う程度なのだ。
たしかにときおり、商人が襲われることもあるが、それは人ではなく、あくまで積み荷目当て。だから油断しているのだろう。
「ぎゃっ⁉」
足止めをした男の部下のひとりが、その腕を森狼に噛みちぎられる。
続いて、もうひとり。首元に噛みつかれる。
最後。今度は少女の鎌の餌食となった。
計三人いた男の部下たちは全員、追ってきた彼女らに一瞬で潰された。
「……は、相変わらず怖い娘だ」
青年は思う。
あのように愛らしい姿に反して、慈悲のない攻撃。本当におそろしい。と。
「ひっ! あの森狼……人を喰うのか……?」
青年の隣に立つ男が、顔を青くしている。
そんな男の姿に青年は「情けない」と思った。男に対しても、その部下に対しても。あの場に『留まる』から悪い。なぜ馬上から敵に当てることも出来ないのか、簡単なことだろう、と。
そう考えながら、青年は弓を引き続ける。その間も狼にあたる。
「──いや……違うか、簡単じゃない」
青年はぼそっとつぶやいた。
そうだ。簡単ではない。青年がそれを出来るのは日々の鍛錬の成果。
他人に求めるものじゃない。
遠く離れた敵を打ち落とせるように、敵を一撃で倒せるように。
弓も槍も剣も。
立派な騎士になるべく、青年はおのれを鍛え続けた。
だから、おかしい。
「…………矢が当たらない」
先ほどから青年が放つ矢は、狼にばかり当たる。おかしい。
「あん? 矢なら当たってんだろ? ほら」
男が倒れた狼を指でさす。たしかに当たってはいる。狼に。
「違う。そうじゃない」
青年は。
狼ではなく、狼の先頭を走る、同僚に当てたはずだった。
それなのに矢は少女の脇をすり抜け、その周りを走る狼にあたっていた。
どうやら少女の前には見えない障壁があるらしい。
それはおそらくは風によるもの。
強い風が少女の周りに吹いている。近くまで追いつかれてやっと青年は視認できた。
距離として百メートル。
まるで、嵐が近づくように土埃があがり、彼女を中心に風が立つ巻いている。
その右腕には、金色に輝く腕輪が光っていた。
「風の魔法……」
それはある男が好んで使っていた魔法であり──
「……やってくれたなゼノ」
青年──エドルはあることに気がつき、馬車の前方へ振りかえろうとした。
だが。時はすでに遅く、彼の後頭部。そこに短剣があてられる。
「──おっと、動くなよ? 残念だがこれで終幕(フィナーレ)だ」
さきほどまで、馭者台に座っていた老人──ゼノが言った。
街道を走る馬車のうえ。
ゼノはつけヒゲを取った。
そこには本来、まだ少年といっても差しつかえない、やわらかな顔立ちがある。
やや長めの白髪に、その下には限りなく赤に近いヘリオドールの双眸。
薄汚れていたマントを脱ぎ捨てると、ユーハルドの文官服がみえた。
「白髪の馭者。なるほど気づかなかった。どうりで妙な服装だったわけだ」
役所の車ならば専属の者がいるからな、と後ろを振り向くこともなく、エドルが言った。
「ちょっと変わってもらったんだよ。案外適当な変装でもいけるもんだな」
ゼノはエドルに短剣を向けたまま言った。
「なっ! じじいがガキ⁉ どういうことだ!」
賊の男が騒ぎだす。
男はとっさに剣も抜くも、だいぶ混乱した様子だ。
「うるさいな。見ればわかるだろ? それから、オレはガキじゃない。今年で十八の大人です」
男の言葉にゼノは苛立ちを感じ、彼に年齢を教えた。なお、現在十七だ。
「十八ぃ? おいおい嘘だろ、どうみても成人くれぇのガ──」。
──シュッ。
風を斬る音。男の右腕にナイフが刺さる。
服からむきだしの、男の腕からは、つつぅーと血が流れ、その手に持った長剣はスルッと彼の足元へと落ちていった。
「いてぇぇぇぇぇ!」
男は腕を押さえ、しゃがみこむ。彼の腕に刺さっているのはペンナイフだった。
「──ふ、オレは大人だからな。その程度の挑発には乗らない……!」
ゼノは口元をひくつかせながら言い、エドルのほうへ視線を戻した。
「それで? 理由を聞こうか。なぜ裏切ったエドル」
「裏切り……か」
エドルはふっと口元をゆるめるも、すぐに頬を引き締め、口を開いた。
「単純なこと。ライアス様では未来がないからだ」
彼はその不敬な呼び名を言った。
『出来損ないの青豚王子』
「…………」
「──我らが、レオニクス王はいまだ王太子を定めていない。よって未来の王座は空席のまま。つまり、現状すべての王子や姫が次の国王になりうるわけだ。しかし、お前も知っているだろう? あのかたの宮廷内での評価を」
知っている。
『出来損ない』、それは他の兄弟にくらべ、王子が劣っているということ。
『青豚』、それは彼の体型と髪色にかけた侮蔑の呼び名。
「…………」
「智も勇も、他の兄弟に比べ劣っている。そんな方がこの先、王座につけるとは思えない」
「だから裏切ったと?」
ゼノがそう聞くと、エドルはほんの一瞬なにかを考えたあと、目を閉じ、口を開いた。
「ライアス様に己が主君としての器を見いだせない」
その言葉を聞き、ゼノは息を吐いた。
「はぁ……お前、相変わらず騎士馬鹿だよな。そうまでして騎士団に入りたいのか? そのひと売ってまでさ」
「…………」
エドルは答えない。
がらがらと車輪がまわる音と、駆ける馬の足音のみがこの場に響く。
突如そこにガタっという音が追加された。
ゼノの後方、おそらくは木箱が開いた音。そこから出てきたのは王子だろう、エドルの隣で腕を押さえ、しゃがみこんでいる男がゼノの後方をみて「ちっ」と舌打ちをした。
「王子、下がっていてください。できれば剣の当たらない位置まで」
ゼノの言葉を聞き、王子はなにも言わず、後ろへと下がったようだ。ゼノの耳に、わずかにあとずさる靴の音が聞こえた。
「この先に、サフィール殿下が率いる兵たちがいる。悪いが誘拐は諦めてもらう」
「サフィール殿下……南街道……そうかそれで……」
エドルがすべてを悟ったようにつぶやいた。
「そ。フィーの狼襲撃はこの馬車の進路を変えるため。オレは馭者として潜入。なかなかいい作戦だろ?」
あとはこのまま馬車を走らせるだけ。そうすればあちらの兵にぶつかるだろう。
しかし。この状況がつづくとは思えない。
なぜなら、この騎士馬鹿が簡単に捕まるとは思えないから。
ゼノはそんな予感を感じつつ、エドルに投降を求めた。
「そういうわけだから、大人しく捕まってくれる?」
「…………断る」
瞬間。バッと、ゼノの視界からエドルが消える。
「────っ!」
下だ。瞬時にゼノが下をみると、すでにエドルはしゃがみこみ、ゼノへ足を払おうとしていた。
それを後ろへ飛び、ゼノが攻撃を避ける。が。着地するタイミングで一撃、いつのまにか剣を抜いていたエドルの剣がゼノの短剣を弾き飛ばした。
「──しまっ……!」
「ふ、相変わらず剣が苦手なようだな、ゼノ!」
防御がガラ空きになったところにエドルの剣が迫る。
斬られるその寸前。
「──なんてな☆」
「なにっ──⁉」
どこからか出したのか、とつぜんゼノの手から槍が飛び出し、そのままエドルの剣を受けとめ、右に流した。
その後すぐに槍は反転。持ち手でエドルの腹を突く。
「がはっ!」
エドルは腹部をおさえ、がくっとひざを落とす。
思わぬ攻撃に、避けられなかったのだろう。彼は苦しそうに言葉をつむいだ。
「……槍……いや槍杖……魔導品か」
「あたり」
ゼノは「これだよ」と言いながら、槍を元の形に戻した。
その姿はごく普通の羽ペンで、紙と一緒に置いてありそう類のものだ。ただし、材質は金属。硬く丈夫な素材でできていた。
「俺は剣も弓も駄目だけど、槍だけは得意だから」
再びゼノは羽ペンを武器へと変える。
「さて。勝負はついた。街道まで大人しくしてもらおうか」
エドルに近づき、ゼノはその辺に落ちていた縄を拾いあげる。
その刹那。
「なんだ⁉」
がたん! と大きな音とともに、馬車が激しく揺れ、この場にいる全員の足場を崩した。
(つづく!)