今日ひな祭りですね!(まったく関係ない短編)つづきです。
その夜のことだった。
夕焼け空がまぶしい時間帯、例の髪切り犯が出たらしい。大通りはその話題で持ち切りで、クレハはすぐさま自警団の詰め所へ向かった。
「──あれ? みんなは?」
詰め所に入ると、中はガラリとしていた。いつもならば団員たちが酒盛りとか賭け事とかしていて騒がしいのに。髪切り犯の捕縛に出払っているのだろうか?
クレハが詰め所から出ようと入口へと足を向けると、うしろから声がかけられた。
団員の古株、ハインクじいさんだ。基本は詰め所にいて、みんなが任務に励めるようサポートをしてくれるお爺ちゃん。どうやらこれから夕飯を取るところらしい。二階から降りてきた彼の手には簡単な軽食が握られていた。
「ああ、クレハちゃん。団長たちなら五番街に行ったよ」
「五番街? きょう、あそこでなんかありましたっけ?」
「ブラックマーケットの大捕りものだそうだ。なんでもフィーティアを通さずに魔導品の売り買いをしているとのタレコミが入ったらしい」
「フィーティア……」
クレハたちが住んでいるエール大陸には、〈フィーティア〉とよばれる大陸平定を担う調停機関がある。
古くから有る組織で、主な活動は『異郷返り』と呼ばれる魔力の高い人間の保護と、その生活全般の支援。ほかにも、魔獣の討伐や魔石の管理なども行っている。
さきほどハインクが言った魔導品。
これの占有権も、もちろんフィーティアが握っていて、彼らの許可なしに取引すれば、フィーティアの法に裁かれる。
たとえ自治国家であるイナキアであっても彼らを蔑ろすることはできない。
そんなことをすれば国ごと潰されるか、この大陸で商売自体ができなくなるだろう。それくらい彼らの影響力は強いのだ。だから、自警団は町の見回りのほかに本来フィーティアが担うはずの魔獣の討伐や、違反者の取り締まりなどの協力をしている。
今回、闇市場に捕りものに行っているのもそれが理由だ。
「そうなんだ。じゃあ、髪切り犯の現場には向かえてない感じかな?」
「いや、詰め所に控えていた若い衆が行ったよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないか?」
ハインクがそう言うと、ちょうどひとり若い男が帰ってきた。
最近、自警団に入った人だ。名前はなんだったっけ……と、クレハが記憶をたぐっていると青年は「大変だ!」と叫んだ。
「スカルさんところのモニカちゃんが髪切り犯にさらわれた! ちょうどその場にいたグレンさんも大怪我をしたとかで、いま救出隊を組んでいる」
──え? お兄ちゃんが?
血のつながらない義兄だ。数年前に、港の岩礁にうち上げられていた彼を助けてからクレハの兄になった。
普段はアルスのそばで雑用係をこなしているが、あれでもけっこう腕が立つのだ。
それが大怪我とは。
クレハは目を見開いて、焦る気持ちを必死に押さえてたずねた。
「どこ⁉ 犯人はいまどこにいるの⁉」
「廃倉庫に向かったそうだ──って、クレハちゃん⁉」
慌てる青年の声に背を向けてクレハは駆け出した。すぐにこのことは父であるヒューゴの耳にも入るだろう。帰ったらきっと大目玉だ。
「——待ちなさい! クレハちゃん」
急にぐんっとうしろから腕を掴まれて、クレハは前につんのめる。振り返ると、息を切らしたハインクが真剣な表情で首を真横に振った。
「キミは自宅で待機。事件のことはこっちでなんとかするから家に帰りなさい」
「でも!」
「頼む。言うことを聞いてくれ。また、前みたいなことがあったら、僕はディーゼル様に顔向けができないよ」
懇願するように言われてしまい、クレハは言葉に詰まる。
あれは、七歳の時だった。そのころから自警団に仮所属していたクレハはいつものようにみんなのあとをついて獣の討伐依頼をするべく森へと入った。
そこで、魔獣に遭遇した。
あらかた獣退治を終えたあと、さあ帰ろうという時に、巨大な黒い狼が夜闇に紛れて現れた。
それは瞬く間に部隊の大人たちを喰らっていった。応戦する誰かも、逃げろと叫んだ誰かも、みんなみんな、目の前で血の海に沈んでいった。
真っ暗な森の中で、足が震えて、地面にへたりこんで、ああ、自分もあれに食べられて終わるのか。そう幼い彼女は絶望した。
けれど、助けてくれた人がいた。
死が迫る寸前、魔獣が真っ二つに両断された。
美しい満月の夜だった。
淡い月の光に照らされて、振り返った白髪の青年は、知性を湛えた紅の瞳を幼いクレハに向けて手を差し伸べた。そうして彼に導かれるままに森を出て、クレハは商都に戻った。
ハインクはその時のことを言っているのだろう。
(それでも──)
動く足は止められない。ハインクに「ごめんなさい!」と叫んで、クレハは廃倉庫へと急行した。しかし、いざ廃倉庫に到着してみると困ったことがひとつあった。
それは──
「あ、開かない⁉」
ドアノブをガチャガチャする。開かない。どうやら経年劣化により、扉の接触面が錆びついているようだ。どうしよう。
「ここからあの子の気配を感じるのに──そうだ!」
クレハはうしろへ下がると、そのまま助走をつけて気合一発、叫んだ。
「みつけた────っ!」
かくしてクレハは四度目の、ゼノとの邂逅を果たしたのであった。
「あのね、それでね。ゼノ様がね!」
髪切り犯こと海霧の怪人と捕らえたあと、恐ろしいものと対峙し、クレハはなんとか無事に生還することできた。
これも全部、あの白髪の彼──ゼノのおかげだ。クレハは喜々として、その時のことをアルスに話していたのだが、彼は書類に目を落としたままペンを走らせて言った。
「悪いが葬儀のあとで仕事たまっている。あとにしてくれ」
ぞんざいな対応だった。
ちょっとばかしクレハはむーっとむくれると、まあ仕方ないかとそっとため息をついた。
ティアが亡くなってから、アルスは以前にもまして仕事へ打ち込むようになった。
各顧客への謝罪。商候組合との話し合い。今後の店の運営。どれをとってもアルスは真摯に対応し、一度は組合からの除名を言い渡されそうになったが、彼の処遇を改めるようクレハの祖父が動いた。
なんでも、被害にあった女性たちから彼の減刑を望む嘆願の声が多くあったらしい。
アルスは悪くない。たしかにラパン商会の従業員が事件を起こしたけれど、彼を責めるつもりはない。むしろ商会が無くなっては寂しいと、みんなが言ってくれたそうだ。
これも日頃の彼の人徳だ。誠実でまっすぐで、まじめすぎるアルスのことをみんな大好きなのだ。
「そういえば、食堂へは行ったのか?」
アルスの隣で書類を片付けていた義兄グレンが振り向いた。
「食堂? ──あっ! 忘れてた」
あの廃倉庫から脱するとき、ゼノと約束したのだ。
無事にここから出て、おいしいものを一緒に食べようと。
それが、見合いの準備とやらで、ここ数日クレハは屋敷へ軟禁されていた。
スパルタ淑女教育。
執事長と侍女長の監視のもと、徹底的な作法の教育を施され、出来ないと教鞭でパシン。おかげでクレハは連日ぐったりなのであった。
「ゼノ様たちは?」
「昨日発った。ネージュメルンに向かうと話していた」
アルスが返す。
「ねーじゅ……って、お見合いがある町だ」
「そうか。検討を祈る」
いや、検討を祈られても。その気はないのだし。
クレハがうーっとうめいていると、グレンがおかしそうに声を震わせた。
「くくっ……、クレハが見合いか。まだまだガキだと思っていたが、いつのまにか大人になってー。お兄ちゃんたちはうれしいよ。なあ、アルス?」
「…………」
「ええ? なんか返せよ、俺だけ滑ったみたいだろ」
「クレハ、ヒューゴ殿がこれからお見えになる。戻るなら早くするといい」
「え! 大変! すぐに帰らないとお父様に起こられる」
「ふたりとも、俺のことは無視ですかい……」
澄まし顔で黙々と書類仕事を片付けるアルスの横でグレンが肩を落とした。
「じゃあ、私はもう帰るね。いこ、シュバルツァー」
「わんっ」
クレハは小犬を抱きかかえて事務所を出た。すると──
「アルス、例のくすりの件だが──」
「お、お父様……」
「! クレハ⁉ またこんなところに来て……。早く帰りなさい。昼には商都を出るんだ──いや、私ももう出よう。さあ、来なさい」
「ま、待って! 私やっぱりお見合いなんて──」
「アルス、例の件は白鳩便で伝える。いいな」
「承知いたしました」
わーわーと抵抗するクレハの手を掴み、父ヒューゴは階段をおりて行った。
この先に待っているのは、彼らとの再会。
そして、長い旅路の中で知る、世界の広さと真実と、あのとき自分を助けてくれた、初恋だろうあの人のことを知るのはもっと先のことである。

好き、というか愛がよくわからないクレハのお話。
彼女の生い立ちは少々複雑で、きのうまで自分を愛してくれていた人(母親)が、次の日には自分を殺そうとしてくる。クレハにとって愛とは、ある日当然失くなってしまうもの、という認識です。
ゆえにクレハさんは超鈍感です。なので普段、まわりの子たちからは天然ぶってケッ!って感じで友達ゼロのぼっちなんですけど彼女の背景知るとね。
いつか、変わらぬ愛もあるってことに気づく日が来るといいね。
←準備中 目次 EX06『クレハさん舞台裏(前編)』→