第二章の里帰りのあたりの話です。
魔獣の襲撃を受けてから一週間ほどが経ち、村の様子もだいぶ落ち着いてきた。
談笑しながら木材を運ぶミツバとケイト。とんかんと金づちを打ち付け、壊れた壁を直していく王子。その隣で釘を差し出すフィー。さらにその近くではリィグに支えられて村人たちへとあれこれ指示を出すグラン爺さん。
みんなめいめいに自分のやれることをやっている。
かくいうゼノも朝から防衛用の塀を建設するべく大きな石を運んでいた。腰が痛い。
「あー……疲れた。なんで石運びなんかしなきゃいけないんだろ」
前は木の柵だったのに。
「仕方ないでしょ? 木じゃすぐに壊れるし、また魔獣が襲ってくるかもしれないんだから、塀は強固なものにしておかないと」
「それはわかるけど。だったらお前も石運び手伝えよ」
「いやよ、重いもの。それに、あたしはハシより重たいものは持てないのよ」
どの口が。
がっつり平板を抱えて歩き出すミツバを見送りゼノはため息をつく。そこに、グラン爺さんがやってくる。
「そういえば、今年の祭りは中止しておったが、せっかくお前さんたちが来たんじゃ。いまからでもやるかの」
「祭……ああ、麦刈祭か」
例年ルグルムの月に入ると各地で祭りが開かれる。その名も麦刈祭。夏の太陽に感謝の祈りを捧げ、その年に実った小麦を使った料理を食べながら豊作を祝う真夏の行事だ。
ポエミ村でも毎年行っていた。けれど、今年は魔獣被害のせいで開催を見送ったらしい。
グラン爺さんが王子に声をかける。
「ライアス様、今夜麦刈祭を執り行いたいのですがよろしいですかな」
すぐに快諾の合図が返ってくる。ぐっと親指を立てる王子(とフィー)にグラン爺さんは頷き、そばを通ったケイトに祭りの準備を命じた。
屋敷の裏手にある倉庫。今年収穫した小麦をぱらぱらと石臼の中に入れて、ぐるぐると棒を回す。
「ここからなのね……」
手伝えることはとケイトに聞いたら粉ひきを頼まれた。石運びからのさらなる重労働。この短時間でゼノの上腕二頭筋と前腕筋はだいぶ鍛えられた。これはもう腕相撲大会とかやったら勝つ自信しかない。
輝かしいマッスルな未来を想像してゼノは粉ひきを頑張った。
「にゃう」
「お、久しぶりだなー、ミケちゃん」
オレンジと茶色と白い毛が入り混じった短毛種の猫。グラン爺さんが飼っている猫のミケちゃんだ。いまは無きサクラナ国の巫女が飼っていた猫の孫猫で、島が沈む少し前に巫女から友好の証にと、ユーハルド王家に送られた猫だった。本当は光の離宮で飼う予定だったけれどシオンが猫アレルギーのため、グラン爺さんのもとに預けられたのだ。
ミケちゃんはぺろりと前足を舐めると「なーご」と鳴いてゼノの足にすり寄った。
「これ小麦粉だから食えないぞ」
しゃがんで頭を撫でてやると、その場にごろんと転がり肉球を見せてくれた。きれいなピンク色だ。軽くふにふにさせていただくと、ミケちゃんは飽きたのか倉庫から出て行った。
「……さて。つづきやるか」
余談だが、ゼノは犬よりも断然猫派なのである。
夕方になった。
立っているだけで汗ばむ熱気も幾分か収まり、生ぬるい風がゼノの濡れた髪を揺らす。
実はあのあと挽いた小麦粉を麻袋につめて運んでいたら、倉庫の外で遊んでいたらしいミケちゃんがゼノの腰に体当たりしてきた。どうやらツノリス(角が生えたリス)を追いかけていたようで、ミケちゃんはすばやい動きでリンゴ畑の方角へと走っていった。
いっぽうゼノは泥だらけ。小麦粉が入った袋を肩に担いでいたものだから、ミケちゃんがぶつかってきた拍子に体勢を崩してしまったのだ。結果、最近快晴だったのになぜかそこにあった水たまりに落ちた(あとから聞いたが砂ぼこりを抑えるための撒き水だったらしい)
その後、身体の泥を落とすべく水浴びでもするかと裏山の川に行けば、まさかのミツバの水浴びに遭遇してしまう。平手をくらった。
そんなこんなでゼノは頬にもみじを貼りつけたまま、着々と進む祭りの準備を眺めていた。
村の中心には高く積まれた丸太の組木がある。それに王子が火をつけようとしているところだった。フィーから松明を受け取り点火。ぼぼぼっと低い音を奏でて組木に炎が広まる。煙が空まで達し、うっすらと出ていた星々を隠す。しかし夏の赤星、竜王星だけはどこまでも輝いていて、その確かな存在をゼノに教えてくれる。
王子が振り返る。
「こちらはいいからケイトたちを手伝ってやれ。そろそろ料理を運ぶところだろう」
まだなにも言っていないのに。
相変わらず察しの良すぎる王子に頷き、ゼノは屋敷の厨房へと向かった。
「失礼しまーす……え」
厨房に到着して早々、中に入るのがためらわれる空気だった。
ケイトを始めとする村の女たちが、険しい表情でミツバを見守っている。ぷるぷると震える指先。細くしなやかな指の先にはおそらく今年採れたのだろう夏イチゴがつままれている。それをちょこんと、豪華なケーキの端に置く。
大歓声。
ふう、と額をぬぐうミツバと『さすがは姫様!』という賛辞と拍手の嵐。
なんだろう。端から見ていて、小さな子供が一生懸命料理を手伝う姿を息をのんで見守るお母さんたち、という構図を想像した。
ゼノが厨房に入ると、ミツバが豊かな胸をそらして言った。
「どう? あたしが作ったのよ。すごいでしょ?」
「うん、すごいすごい。……で、ケイトさん。このへんの料理持ってっていい?」
「ちょっと! なによ、その投げやりな態度は!」
だって。
どう見てもケイトが作ったケーキだし、間違いなくミツバがやったのは上の飾りつけくらいだろう。それだって、ほとんどケイトを含めたこの場の皆さんがデコったんだろうなぁと思うと、とくべつ誉め言葉が浮かんでこない。
がんばってイチゴのっけたなー! えらいぞぉ、ミツバ。
なんて言おうものなら再び張り手が飛んできそうだ。こういう時はむやみに口を開かないのが正解なのである。
ゼノは無言のまま料理を運んだ。
料理を並べていると、丸太に座ってリィグが手招きしてきた。
「マスター、それ終わったらこっちー」
「おー」
片手をあげて応じる。手近なパンを二個掴んでリィグの隣に腰掛ければ、皿を渡された。
「それ、マスターが挽いてた小麦粉で作ったパン?」
「多分」
「そっか。あの重労働をひとりで……がんばったねぇ、えらいねぇマスター」
「バカにしてるの?」
うんうんと頷くリィグの口にパンを突っ込んでやった。
祭りが始まった。
といっても、村人たちと一緒にたき火(さっき王子が点火していた)を囲ってこうしてわいわい夕飯を取るだけだ。これといって何かをするわけじゃない。適当にまわりの人としゃべって『へー、そうなんですかー、大変ですねー』とひたすら相づちを打つだけの退屈な時間だ。楽しいことはない。
近いのに、遠くで聞こえてくるような話し声と、視界の中で揺れる炎を眺めてゼノはぼんやりとパンをかじった。生焼けだった。
「ハズレを引いた……」
今日は朝からついてない。
石運びをさせられるし、粉をひくはめになるし、泥水に落ちるし、ビンタくらうし。しかも最後には生焼けのパンが待っているとか。
もうこれ以上はなにも起こらないでくれ。
そう祈り、もうひとつパンを取ったらやっぱり生焼けだった。
「このへんにあるパン、焼いたのミツバだろ絶対……」
お隣にちょこんと座るフィーに『手をつけちゃだめだよ』と注意を促して、ゼノは少し離れたところの皿からパンを取った。
「お、これはうまいぞ」
オレンジジャムが練りこまれた白パンだった。ケイトが焼いたのだろう。ゼノ好みの味だ。パンを縦に割れば、ほのかな蒸気と糸引く生地。それを口に詰めれば、小麦の甘味とさわやかなオレンジジャムの酸味が口内に広がる。文句なしにうまい。満点。
もっちりふわふわなパンを堪能していると、どうやら村の男たちが腕相撲大会を始めたらしい。
燃え盛る炎(たき火)を背景に、日ごろ農作業で鍛えた自慢の筋肉を披露するべく男たちが服を脱ぎだした。王子も続く。……いや、あなたも参加するんですか。
上半身、半裸となった男衆に黄色い声を飛ばす村の女たち。いちばん人気は兵士のヘイルくんだ。最近グラン爺さんに仕え始めた青年で、生まれも育ちもベルルーク地方なのだが、向こうの領主の体育会系なノリについていけず昨年こちらに来たらしい。毎日のんびり暮らせてスローライフ最高ですと言っていた。
そんな競争社会とは無縁の日常を送っているせいか、トーナメントの一回戦で敗退していた。たちまち野次が飛ぶ。本人ははにかんで流しているけれど、ちょっと涙目だった。
続いて王子の出番。
相手はリンゴ一筋三十五年の屈強な農夫ことノーフリーさん。つまりは三十五年間彼女ナシの魔法使いである。
いざ、ファイッ! 速攻で王子が勝った。すごすごと退場する彼の背中に「彼女できるといいね!」と心の中で声援を送っておいた。
決勝戦は王子とグラン爺さん……の代わりになぜかゼノ。
「すまんのぉ、途中までは大丈夫だったんじゃが急に腰が」
とのことである。むしろ腰痛持ちでここまで来たのがすごい。あとぎっくりしてるんだから安静にしてなさい。
「脱げ」
王子がゼノをまっすぐ見つめて言った。ものすごく気が進まないけれどシャツを脱ぐ。遠くからミツバの叫び声が聞こえた。
「さあさあ、どっちが勝つか賭けた賭けた!」
リィグがふざけて手を叩く。それに乗ったケイトがパンを高く掲げて『白パンがゼノちゃんで、黒パン(ライ麦パン)がライアス王子よ!』と叫んだ。どうでもいいが勝手に人を賭けの対象にしないでほしい。あと黒パン派が多くて少し傷ついた。
酒樽の上にひじをついて、互いに手を握りあう。審判(フィー)が腕を振り下ろした。
「……ぐっ、さすがは王子、ですね」
「む、おまえも、なかなかやるではないか……」
押し、押されの勝負は終盤へと入る。最初は優勢だったゼノも想定通りというか、思った通りの王子の腕力に、じりじりと手の甲が酒樽へと近づいていく。
そこでミツバの声が飛んだ。
「なにをしているのよゼノ! 踏ん張りなさい! 優勝したほうにはあたし特製のスペシャルパンが待っているわよ!」
負けました。王子が。
むしろ自分から負けに行っていた。
「なかなかよい勝負だった。またやろうではないか」
「いや、王子明らかに最後手ぇ抜いたでしょ」
そんなことはない、と返ってきた。
腕相撲大会の後、ミツバが作った特製スペシャルパンを食わされた。具体的にはリンゴとモモとナシと夏イチゴと黒ベリーと赤ベリーと青ベリーとそのほか色んな夏のくだものが入ったフルーツパンだった。
こんなにミックスしたら味が混ざるよね、なんでそのへん考えないの?
ゼノは心中で文句を呟きながら、腕相撲大会(女性部門)を見学しながらスペシャルパンをいただいた。生焼けじゃないだけマシだった。あとフィーが地味に連勝していて驚いた。
「はー……、優勝したとはいえ、なんか釈然としない」
むしろぐったりである。
星空を見あげながらゼノがうなだれていると、王子が隣にやってきた。
「リーアから手紙が届いた。後半はおそらくおまえ宛てだ」
自分宛て? なんだろう。王子から手紙を受け取ると、確かにリフィリア姫が書いたらしい綺麗な筆跡が並んでいた。読み上げる。
「なになに? 『今年の麦刈祭はエリィと一緒にパンを焼きました。はじめて作るので、最初は失敗ばかりでしたが、なんとかライ兄さまの形のパンが出来ました。おいしかったです。今度兄さまが戻られたらぜひ作って差し上げたいです』……あの、これ」
「そのあとだ」
「……。『フィネージュやミツバ姉さまの形も作りました。それで、その、ゼノくんのパンがですね。上手に出来たのですがどうしても食べられなくて。お部屋に飾っているのですがそろそろカビが生えてきそうです。どうしたらいいでしょう?」
食べればいいんじゃないでしょうか。
「……えっと、これのどこがオレ宛てなんですか?」
「? おまえ宛てだろう。ほら、最後の一文」
「最後?」
言われて下のほうを見れば、小さな文字でこう書いてあった。
『戻ってきたら、ゼノくんにもわたしのパンを食べてほしいです』
「よかったな。リーアはお前にもパンを焼いてくれるそうだ」
「はあ」
王子はゼノの手から手紙をかっさらうと、代わりにぽんと小さな包みを渡して優勝したフィーのもとへと歩いて行った。ミツバが悔しがっている。今晩は荒れそうだ。
「ゼノくんにも……か」
つまり、カビが生える前にゼノの形のパンは姫の胃袋へと収められたわけである。
べつに構わないけれど、どうせなら動物の形とかにしてほしかった。
「なんだろ、これ」
包みを開ける。出てきたのは可愛らしい猫のクッキーだった。中には肉球型のものある。添えられたメッセージカードには「パンの代わりにクッキーを。暑中見舞いです」と短い文が書かれている。
「……ん、うまい」
さくさくとした軽い歯ざわり。ほんのりタマゴの風味が感じられる、優しい味だった。
「それにしても」
猫のクッキーを見つめて苦笑する。
「わたしのパン、なんて書いてあるからちょっとびっくりしたな」
自分の形をしたパンを食べてほしい。
一瞬そういう意味かと思って少しだけドキっとしたことは心の奥にしまっておこう。
「ゼノー! ちょっと付き合いなさい!」
「はいよ」
はちみつ酒が入った杯を掲げてミツバが呼んでいる。ゼノは包みを閉じるとふっと笑って立ち上がった。
終わりよければすべてよし、みたいな話が書きたくて書いてみました。
麦刈祭は8月1日。ルーナサというケルトの収穫祭をモチーフにしていて、本来はその年の最初に実った小麦を使ってパンを焼く夏の行事なのだとか。作中では●●●●春のパン祭りのごとくたくさんパンを食べる行事になっております。
今回はスランプからのリハビリも兼ねて書いたので、ところどころ読みづらい箇所があるかも。しばらく短編生活が続きそうです。