続きです。
私は目を閉じて集中する。
風、風、風。
秋のはじまりごろに吹く、あの柔らかくも涼しい風がいいだろう。
的は前方の細木。まだ赤く色づく前の青葉を落とすイメージで、手のひらから風刃を絞り出す!
「風よ、斬り刻め! クラウアウラ!」
しーん。
「クラウアウラ!」
しーん。
風は、まったく吹かなかった。
「きょ、今日は……調子が悪いようだな」
「今日っていうか、いつものことでしょ」
がくりと膝を崩す。手の甲に、ひらりと光蝶が舞い降りた。
お前ら、力を貸してくれるんじゃなかったのか?
私が恨みがましい目を向けると、とまっていた光蝶は青空へと飛び立った。
「じゃあ水は? もっかいやってみて」
「──ノルアクア!」
なにも出なかった。張り出した右手が悲しい。リィグが首をかしげる。
「あれー? さっきは使えてたのになんで急に?」
「あー……、なんかその日によるんだよな、魔法使えるの」
使える日と使えない日があって、使える日は制御できないほどの魔法が発動してしまう。使えない日はまったくダメ。
今日は、使えない寄りのやや使えた日、といったところだろうか。さっきまで使えていたし。
「なにそのムラのある魔法事情」
「そう言われましても……こればかりはなぁ。前にシオンの紹介で魔法の専門家に見てもらったときに言われたのは魔力が不安定、だってことだな」
「不安定?」
「うん。体内の魔力量にムラがあるんだそうだ。日によって魔力が多かったり、少なかったり。安定しないせいで使える魔法にも影響が出る。そう言われたよ」
魔力はすべてのものに宿る。
植物、動物、ヒト、無機物。あらゆるものは微弱な魔力を帯びていて、こうして立っているだけでも大気を通してそこら中に魔力は満ちている。
呼吸、食事。生きているだけで魔力は身体に入るのだが、ほとんどの人間は魔力を取り込む機構を持たない。だから、身体に入ったところで魔力は体内を通過し、自然と排出されるから蓄積されることはなく、基本的には無害だ。
しかし、異郷返り。
彼らの場合は生まれながらにして一定の魔力を体内に保有している。
外から取りこむというよりは、内から生じる魔力、というのが適切だろうか。体内で作られた魔力を使って魔法を発動させる。
イメージとしては、無から有を生み出す感じ。
事前に魔力をあたりのものに──たとえば川の水に注いでおいてそれを操る、という芸当なんかもあるけれど、そういうのは古い神世の時代の魔法だ。
現代における魔法には一定の型がある。
魔力を火に変換させれば炎が生じるし、水、あるいは氷なんかも魔力を直接氷に変えているに過ぎない。……のだが、リィグに言わせると彼は水を操るけれど、それを冷やして氷にしているからうんぬんと話していたから、まあ色々あるのだろう。
(というか、そのへんのことが記された魔導書がないんだよな……)
魔法というものは、元来説明が難しいものだ。
星霊学、と呼ばれる魔法の真似事をした学問の中であっても、その原理についてはやや曖昧である。
不思議な現象が起こるから『魔法』と呼ぶのであって、そのへんを突き詰めると頭が痛くなる。魔法の研究者でもない限り、深く考えても答えはでないと思う。
ともかく。
そんなわけだから、個人が保有する魔力の量や質によっては使える魔法が大きく異なるし、体内魔力が枯れれば当然魔法は行使できなくなる。
体内魔力の量が多ければ、強い魔法が使える。
少なければ、弱い魔法しか使えない。それだけの話である。
そして、この体内魔力の量というのはつねづね一定だ。
たしかに魔法を使えば、保有する魔力量の数値は一時的に下がるが、休めばそのうち回復して保有数値はもとに戻る。
血糖値とか、血圧とかをイメージするといいかもしれない。
健康体であれば、基本は一定だが、ちょっと難があると乱高下する。
それが私だ。
日によって血中を流れる魔力量が安定しないから、おかげでときどき具合が悪い。
魔力が高い日は、熱が出るし、動けない。
低いと、やっぱり調子が出ない。魔法も使えない。
よって、魔導師になるには重大な欠陥を抱えているから、こうして文官になったという経緯もあるのだ。
「本当は、シオンが死んでから魔導師団に入るかって話もあったんだけど、そんなわけで実戦には不向きだし、オレも軍には入りたくなかったから断ったんだよ。ロイドにもとめられたしな」
「ふーん。なんか大変だね、マスターも」
事情はわかったけどさ、と上を向いてからリィグは言った。
「今日はもう無理そうだね。日も暮れてきたし、そろそろ帰る?」
「ああ……」
空を見れば、夕雲。にわかに赤みを帯びるかげった雲は、じきに暗くなることを告げている。王都に入る頃には夜になっているだろう。王子には、城に拠らずに森から直帰して構わないと言われているから、あとはこのまま帰るだけ。だから思う存分魔法の訓練ができると考えていたのだが、思いのほか時間が足りなかった。
リィグの提案に頷き返して私は馬を休ませている場所まで歩き出した。
「──ん?」
ふいに、目の前を光蝶が舞った。
ひらりひらりと誘うように、……いや、邪魔するように人の進行方向をさえぎってくるので、軽く腕を振って追い払うとしつこくまとわりついてきた。
「なんだよ、帰るから邪魔すんな」
しかし、鼻先で飛ばれる。さすがにそれ以上は進めず、光蝶を避けて通ろうと迂回すると今度は違うやつが邪魔してくる始末。怒り半分、呆れ半分。うんざりしてため息をついているとリィグがふむふむと頷いた。
「なになに? こっちにいいものがあるから来てほしいな、だってさ」
「おまえ、こいつらと会話できんの?」
「できないけど、なんとなく。というか、マスターだって気づいてるでしょ?」
「まあ……」
光蝶の言葉はわからないが、なにかを訴えていることだけはわかる。
これだけ激しくアピールしてくるのだ。
付き合ってやらないと、あとで面倒かもしれない。
「……はあ、わかったよ。どこ? 行くから、はやく案内して」
うなだれながらそう言うと、光蝶たちは嬉しそうに私の前で軽やかに舞った。
「──ここ、前に来た庭園だよな?」
そこはリィグと出会った場所だった。
ライアス王子の兄、サフィールの一件でニアの森へと逃げ込んだとき、気づいたら遺跡の中を彷徨っていた。そうして出た場所が室内にある広い庭園。天井には大きめの明かり窓がついており、割れてはいるが、そこから陽を取り込んで植物を育てていたんだろうなというのがよくわかる。
古びた花壇には、ぽつりぽつりと白い花が咲いている。
中心がわずかに赤くて、あまり見たことの無い品種だ。その隣には、緋色の花。こちらは春に咲く花だが、季節はずれの花が一輪だけ咲いていた。
「で? ここになにかあるの?」
リィグが光蝶に話しかける。ここまで先導してきたやつなのか、もともとここにいるやつなのかは不明だが、光蝶は花壇の端にとまると羽を休めた。
「いや、休むなよ。なにもないなら帰るぞ」
無反応。相変わらず気まぐれなやつらだ。深いため息をついてから私はきびすを返す。すると、リィグが「あっ」と叫んで空を指さした。
「見て、流れ星!」
「え?」
上を見る。割れたガラス窓の先に見えるのは、夜空にかかる星群だ。宝石みたいなみごとな星影が、ちかちかと瞬きながら満天の空を駆けていく。
きれいだ。
これだけ星が鮮明に見えるのも珍しい。すぐに東の空に月がかかっていないことに気がついて、今日は新月なのだと気づく。月の光に邪魔されず、存分に瞬く星々は見るものの心を明るくするような、そんな輝きを放っていた。
──あれはね、緋竜星って言うんだよ。
ふいに、誰かの声が弾けて消える。誰だっけ、と考えている内に流星群は終わりに近づいていた。最後にひときわ強く一粒の星が流れて、リィグが肩越しに振り向いた。
「これを見せたかったんだね」
私の隣で光蝶が答えるように舞った。
「星、綺麗だね。マスター」
「そうだな。でもなにが悲しくて男二人で星を見なきゃならんのか……」
帰るぞ、と告げて私はリィグを連れて庭園内を出た。
私はノーグ城の見張り塔の上から星空を眺めていた。
ここは、外敵の侵入をいち早く察知するために立てられた、石造りの古い塔だ。そのてっぺんから白い吐息をくゆらせて、私は星の動きを観察していた。
幾星霜、長い刻が経とうとも、天というものは何ひとつ変わらない。
数多の星々は常にそこにあり、未来の調べを私に教えてくれる。
「明日は快晴だな」
大気が澄んでいる。なんとなくだが明日は晴れる気がする。私は力強く頷いた。
「しかし、ダンスか……」
近々開かれる国王の生誕祭。その一日目にダンスパーティーが開催されるのだが、さきほどまでダンス指導の名目でライアス王子にビシバシしごかれていた。大変だった。やっと解放され、ふと見上げた星空がなんとも心に染みて、疲れが増すというのについこうして塔の階段を登ってきてしまうほどには私の思考回路はひどく摩耗していた。
美しい星空は一日の疲れを癒してくれる。
私は存分に夜景を堪能し、空から視線を外して振り返る。
「リィグ、そろそろ帰るぞ。明日は国王陛下の生誕祭だ。とっとと休んで明日の舞踏会に備えたい」
「はーい。でもマスター。ステップめちゃめちゃだったけど、本番大丈夫?」
「問題ない。こういうものはいちばん当日に力を発揮するものだからね。おそらく明日が最もよく踊れるはずだ」
「そうかなー。そういうこと言う人に限って本番で失敗するよね」
「……うるさい。早くしろ。私はもう眠い」
はいはーいと間延びした声で返してからリィグは私の隣に並ぶ。
もうすぐ今年も終わる。
メレディアの月。例年よりも遅く訪れた冬は、日に日に寒さが研ぎ澄まされていく。私はほうっと白い息を吐いて、再度星空を振り仰いだ。
緋竜星。赤く瞬く星はいつでもそこにある。
私が仕えた王の星。いまはまだ、思い出せない記憶を引き下げ、私は昔と変わらずリィグを連れてノーグ城の廊下を歩いていった。

メレディアの月…12月。この頃には既に自分が何者か思い出しています。