エッセイだよ。
あれは、幼稚園の頃だった。
知り合いでもなんでもない誰かの結婚式で、まっしろなドレスを着たきれいなお姉さんと、かっこいいお兄さんが手が振ってくれた。心がぽかぽかした。
そのとき向けられた笑顔が幸福に満ちていて、とてもきれいだと思った。以来、誰かの笑った顔を見るのが好きになった。
自分の学生時代は恵まれていた。
クラスメイトは仲良くしてくれたし、自分のまわりは常に笑顔であふれていた。幸せだった。友達が笑うと自分も嬉しいし、自分の幸せは、まわりの幸せあってこそ成り立つのだと、当時は本気で思っていた。
けれど就職して知った。職場に本当の笑顔はないし、他人の幸せなんて忌むべきもので、まわりが求めてるものは他人の不幸だけだった。
それからは、地獄の毎日だった。
常に怒号が飛び交う職場で、ギスギスぴりぴりみんなストレスをかかえていた。そんな中で部署に一人しかいない新人というのは格好の的で、割愛するけどいろいろあった。
出来が悪いことは自覚していた。だから、「いつ辞めてもいい」「代わりはいくらでもいる」そう面と向かって言われても、もっと頑張らないと、はやく仕事を覚えないと、と必死にがんばった。
つまるところ、アホだったのである。
会社としては早く辞めて欲しかったのだろう。なのにその意図を汲めず、三年近く居座り続けた。
がんばれば、いつかは上司が認めてくれると思った。新人の分際でなにを言っているんだと言う話だけど、先輩方を手伝えるほど仕事ができるようになれば、みんなが楽になって、ストレスも減って、職場のギスギス感も多少は緩和されるだろうと思った。
そしたら自分に向けられる顔が、険しいものから笑顔に変わるだろうと思った。だから頑張った。
事実、最初のころに比べ、少しずつ話しかけてくれる人が増えていった。だからもう少し、もう少しだと頑張って、その結果体を壊した。
初めは胃が痛くなった。朝起きて、トイレで吐いてから会社に向かった。
しばらくするとうまく笑えなくなった。
次にまともに食事がとれなくなった。
味がボケている。このころは家の事情で一人暮らしをせざるおえなかったのと、経済的にも自炊するしか無かったから食事は自分で作っていた。
でもいつのまにか食べなくなった。
帰宅後、うずくまってぼーっとしているだけ。夕飯は水。食事を作る気力もなければ食欲もない。一日一食。職場で頼める安い弁当を昼に食べて終了。このあたりから体重がかなり落ちたのを覚えている。
次に、悲しくもないのに涙が出るようになった。
会社ではどうにか普通にしていられたけれど、家では涙が止まらなかった。
そのことを友人に相談すると、そんなヤバい会社は早く辞めたほうがいいと言われた。けれど「辞める」という選択肢が頭に無かった。感覚がマヒしてて、そこから逃げるという考えに至らなかったのだ。
さらに数ヶ月経つ。
多分初めて人を憎いと思ったんだと思う。それほど抱えきれないストレスを溜めこんでしまったらしい。自分の腕を噛むようになる。他者に鬱憤をぶつけたら上司や先輩たちのようになってしまうからだ。もうこのころにはすでに、上司たちが人の皮を被ったあやかしに見えるようになっていた。そう思うことで心の安定を図っていたのだろう。
ときおり記憶が飛ぶようになる。
気がついたら怪我をしていた。驚いて病院に行く。なんでこんなことをしたんだ!と先生に叱られる。そこでようやく初めて自分がおかしくなっていたことに気づくことができた。
以降は薬を処方してもらい、定期的に通院する。
時間の感覚がおかしくなっていった。
まるで本のページをめくって場面を移したかのようにいきなり時間が飛ぶ。朝会社に来たと思ったら月が出ていたり、夜だと思えば職場にいて仕事をしている。あいだの記憶が無いのだ。
まるで夢の中を渡っているような感覚だった。よくわからない時間の流れの中で、鈍った思考で、それでも考えるのはやっぱり仕事の段取りだけだった。
それが一番落ちついた。どんなに嫌なことがあっても、仕事のことだけ考えていれば楽しかった。楽だった。いつのまにか仕事中毒になっていた。
薬の副作用なのか、このころからぼんやりすることが多くなり、明らかに仕事のミスが増えていった。そのせいで上司から怒られることが増えた。
ふいに職場の窓から車道が視界に入ると「楽になりたい」と思うようになったのもこのあたりからで、ネットの検索履歴が暗いものへと変わっていった。
その一週間後には今世に別れを告げようと思って部屋を片付け始めた。
そこで、命を救われた。
以前書いた記事かあるのでざっくりとだけど、たまたま見たアニメの主人公の台詞に救われた。
自分にとって、みんなの(あくまで身近な人の)笑顔はそのまま自分の幸せに繋がった。
でもそれは、文字通りの意味で「みんなの笑顔」の中に自分が入っていなかった。だから仕事もぽんぽん受けたし、上司のパワハラだの先輩からの嫌がらせだのに対しても、まあみんなストレスフルだししょがないかと心のどこかで思っていた.。
だけどそれは間違った考えだった。
自分を一番に大切に、笑顔にしないといけないのにそれを疎かにしていた。常に他人を優先して、もちろんその裏には回り回って自分のため、という打算はあるけれど、それでも自分というものが勘定に入っていなかった。
親からも『その考えはおかしい』と言われていた。けれど何がおかしいのか分からなくて、アニメを見て理解した。確かに順番を間違えている。
それでも、そんな生き方だったとしても大丈夫だと主人公が肯定してくれた。
救われた。
同じような考えの人がいることに。それでも負けずに突き進む姿に。
その上で、自分はその主人公ほど強い心は持っていないから、生き方を変えないといけないと思った。
なら今後の人生は、自分のためだけに時間を使おうと決めた。
それでようやく息が出来た。
そして、持ち直して一週間後に気づいてしまった。
一度ついた印象が変わることはない、と。
ある日、仕事中に備品を壊してしまった。
上司に怒られた。時間にしてほんの15分程度の短い時間だったと思うけど、全員がいる前で色々言われた。あげくの果てに「あれもこれも何一つ出来ない。あなたに何が出来るんですか?」とハッと冷笑付きで言われた。
そこで初めて『ああ、この人の中でいつまでも自分は新人のころのままなのか』と悟った。
そしたらこの上司に認めてもらおうなんて気持ちも吹き飛んだ。だって、認識が変わらないからだ。
相手の変化を受け入れながら良好な関係を築こうと努力する人は多い。少なくとも学生時代の友人たちはそうだったし、自分もその口だ。
だけど、一度貼ったレッテルをそれ以上変えない人はいて、上司はそうだった。
一応補足しておくと、別に上司が悪いわけじゃない。いや、パワハラはよくないけど、単にそういう生き方の人に対して自分なりの処世術が確立出来ていなかったのが原因だ。ようは相性の問題だ。だからほどよい関係が築けず、一貫して厳しい態度を取られたんだと思う。
事実、備品を壊したことは確かに自分の落ち度だ。反省している。けれど、これがもしほかの人だったら「いいよいいよ、業者に新しいの持ってきてもらうから」で終わる話だった。なぜならその備品は、新しいものに切り替わる前の商品で、どのみち破棄するものだった。
業者に謝罪と交換願いの連絡を入れたら、「随分前にその話を担当の方(上司)にお話ししていますし、そんなに謝っていただかなくて大丈夫ですよ」と不思議そうに言われた。
その話を聞いて、もう会社辞めようと思った。
そうして退職したわけだけど、しばらくは定期的に息が吸えなくなる発作が続いて大変だった。外に出ても、会社の人に会うんじゃないかと思うと気が気じゃなくて常に警戒しながら外出していた。
さらに、このときから人の顔に仮面が貼り付いてるように見えて、対面で話してると違和感を覚える。
時間も進まない。職を変えても忘れることができない。現に何年経ってもいまだにその時のことを夢に見る。うなされる。最近は夢を見る頻度が減ったけど、毎年三月になると必ず思い出す。
今年も思い出すのだろう。もしかしたら永遠に忘れることが出来ないのかもしれない。でも、それでもいいと思う。
この月日は決して無駄ではなかった。なぜなら職場における処世術を学ぶことができたし、いま、小説を書いていてそれが活かせているからだ。
出会った人、経験したこと、信じたもの。それらをすべてシナリオという形で落としこめる。
その結果、物語を通して、読んだ人にかつて自分がそうだったように、心の癒しや希望を届けられたらこの上なく嬉しい。
そして、現実ではありえないことが物語の中では可能だ。
主人公とそのまわりは笑顔で溢れている。
確かに人生いろいろあるけれど、希望を持って前に進んで乗り越えて、なんだかんだ笑いの絶えない日々を送っている。
そんな日常を眺めていることで、作者である自分も笑顔になれるのだ。
これ以上、幸せなことはあるだろうか?
だから自分は小説を書いている。
あとがき
エッセイ初めて書いたかも。内容が重いので、あとで下げますけどちょっと載せてみました。
というのも、定期的に見る悪夢を最近見なくなったので、年月というのはいろいろ忘れさせてくれるんだなぁと思いながら当時のことを振り返りつつ、小説を書く理由を再確認しておりました。
スランプなので自分を見つめ直したい。
それでさらさら書いていたら思いのほか重くなってしまった…。ごめんね。(心がずーんと沈んでしまった人は、麦刈祭とねこのクッキーでも読んでほっこりしてください)。
こうしてみると、当時はよくもまあ根性あったなぁとしみじみ思いますね。今なら早々に辞めてるよ。おかげで仕事が続かなくて困ってます。
それから、先輩方の負の感情もいまなら少しだけ理解できます。
年取るとね、人の成功話を素直に喜べなくなるんですよ。嫉妬です嫉妬。これが書籍化?クソッ!みたいなね。ありますよ。あるある。本当は成功に至るまで努力を積んでいることは解っているのに、そこからは目を背けて結果だけ見て、なんだかなぁって思っちゃうんですよね。
あとキラキラしたツイートなんかも見るとまぶしくてミュートしたくなりますね。
そういう負の感情が年取ると積もるんですけど、それをどう処理するかでその人の根っこが見える気がします。
ちなみに管理人の場合は小説へ昇華します。楽しいこともしんどいことも。夢の世界で生きてます。
最後に、管理人は一般内科にしかかかっていないので(心療内科は行ったけど合わなくて)、正式には鬱病という診断はもらっていないです。ですので思い切りタイトル詐欺ですが、まあこっちのが分かりやすいかなと、終わり。