いなばの◯描きブログ

遠野の漫画練習blog

面白さのラビリンス

温暖化すぎる夏の日差し。梅雨寒を期待して外に出たら蕁麻疹級の暑さとか、もう少し肌に優しい夏を下さいよと迎えた運気低迷月です。

毎年7月は運気ゼロ。新しいことを避けて海底に横たわるカレイのように耐え忍べとある管理人にとって7月は鬼門です。だから気分を変えるべく、ツイッター(X)のヘッダーを新しくしました。

前に描いたハロウィンのフィーちゃん!

早く秋来ないかな…運気が戻る秋になったら2章の更新を再開する予定です。

 

話は変わり、3章の件。

5月の末に下書きが終わり、先月推敲し、今月推敲二周目に突入からのやっとスランプ抜けたぜ!と、期待してたんですけど全然そんなことはなかったです。

出来がいまいち。冬に書いた2章はそこそこ良くまとまったのに、スランプ真っ只中に書いた3章はチグチグしていて構成がうまくない。盛り上がりに欠ける。理由はもちろん書いてて楽しくないから。楽しければ自然とアイデアも浮かぶし、台詞回しもパンっと決まる。だけど無理に動かない頭を急かして書いているから話も文章もまとまらない。

書いてて常に頭の中にあるのはいかに話を面白く見せるか、どんな台詞を言わせて、どんな展開なら読者さんが楽しいか。どうすればブクマが増えるか。リピートしてもらえるか、面白いと言ってもらえるのか。そればかりがぐるぐる頭を巡って書いていてもしっくりこんのです。

 

だって描きたい話はそうじゃない。

ぜんぜん綺麗な物語じゃなくていいから、荒削りでも文が拙くても、その世界で生きる主人公をありのままに記したい。展開が冗長だからここは削ろうとか、地の文が続いているから台詞に変えようとか、そういうのは仕事になった時に考えればいい。

なのに、いいものを書かないといけない。

万人受けする展開を、ランキングに載らないと読んでもらえない。『自分が楽しい』を追い求めたら読者は自分ひとりだけになってしまう。書く以上は陽の目を浴びたい。けれど、その為には自分の描きたいものは諦めないといけない。とか、もう思考の迷路です。

 

アユアリにもあったけど、別につまらない物語が駄目なわけじゃないです。ルイスにとっては大切でも、出版側はダメだと言う。だけど担当編集はつまらない物語ってけっこう好きだって言うんです。

結局、何をもってその物語は面白いとするかは人それぞれで、ただ少なくともエンタメである以上はある程度の決まった型が存在する。物語の起伏。キャラの造形。単に一人の一生を淡々と記しても受けない。ある程度の物語性や共感ポイントが必要になってくる。

だけどゼノに共感できるかと言えば、多分多くの人はそうじゃない。なら、この英雄すげーって感じに眺めるタイプなのかと言うとそれも違う。そもそもの話、

『他人の為に一生懸命っていうのが理解されない』

管理人はそういうのが綺麗だな理想だなって思うのですが、まわりに聞いたら自分が一番なのが普通なのに意味がわからないと言われた…

いや、そうなんだけどね!子供の頃は少年漫画を見て育つからヒーローみたいなのに憧れるんですよ。だけど大人になると、それだと損をすると気づいて考えを改めるわけです。

けれど、それでもやっぱりそれが綺麗だなって思う心はずっと持っていて、その理想を書いたのがゼノの話だったりします。もちろん少年漫画みたいにキラキラしたノリじゃないけど、本質的にはゼノも大切な人の為に人生すべてを賭けている。

 

書いても書いても納得しない。

最近はとくに、載せないほうが嫌な現実を見なくて済むのでは?と腰が引けてなかなか更新の再開が出来ないです…。せめて、この人の名前たまに見かけるなっていう程度になってからゼノは出したほうが固定の読者さんがつくのかも。

そう思って先に短編を増やしたり、カクヨムさんに載せている『氷の魔女』を加筆してなろうさんに載せる準備をしたり。近々更新します。迷子だよ!!