いなばの◯描きブログ

遠野の漫画練習blog

小説の素朴な疑問その2 語り手の謎

素朴な疑問その2

小説の語り手とは。

これを考えるとゲシュタルトするよね!というお話です。

 

 

個人的な感覚ですが、

ドラマや漫画は、画面の外からカメラで撮影したものを、監督(作者)が繋ぎ合わせて、シーンを構成しているイメージです。だから、純粋に物語の中に、スタッフはうつりこみません。出てくるのは役者、声優などのキャストだけです。

 

いっぽう小説は、撮っているカメラマンが語るのです。つまりどうなるのか。カメラマンの喋り方が反映される。

もちろん、カメラの人が各キャラの口調を真似てキャラの心情を代弁したり、普通にカメラの人の口調で代弁したりと色々です。関西弁だったり、東北弁だったりするかもしれません。そんな彼らが物語をナレーションしてくれます。つまり、うつらないだけで、スタッフ出てるやん。声優デビューしとる、そんなイメージです。

 

じゃあ、つづいて、そのカメラの人はどういう人なのか?

はい、ゲシュタルします。

ちなみにこれは、誰が語っているのかということではなく、単純に立ち位置のこと。

一人称は省くとして、三人称は色々な可能性が考えられますが、ひとまず誰が語ろうと「カメラ役」という定義です。

 

ですので問題は、そのカメラ役がどこに立っていて、どういう能力なのか。あるいは性格が明るいのか静かなのか。

より具体的にいえば、遠いのか近いのか。作中の人の心情をどの程度読めるのか、読めないのか。軽い語り口か、しっかりした語り口か。1番目はカメラワーク、2番目はエスパーかよって感じ、3番目は単純に物語の雰囲気に関わります。

 

よってそこに、理由をつけてあげないと書けないだろうというのが、

そう、遠野です!

頭の中で、理論(あくまで自分なり)がはっきりしていないと、なんでこの語り手は、人の心を読めるのか、なぜ生い立ちまで知ってるのか、そもそも別空間にいるのか、透明になってすぐ傍で語ってるのか、と頭が痛くなる!

おまけに、カメラ役の心情ってどの程度入るんだろうか。カメラ役が感想を述べたらダメなのか、じゃあどこまでがキャラの心情なんだ、たとえば「美しい庭」とあったら、それはキャラの感想なのか、カメラ役の感想なのか、おいどっちだよ!

 

……となる。たぶん、こういうことは考えてはいけないのです。

ちなみに、遠野はこれを回避するために語り手さんも設定してあります。こんな感じ。

 

例①)がおがおの冒頭

「突然ですが、モーニングは明日閉店します」

 そうなのか。それは大変だ。

 いつものように私服からウエイター服に着替え、ショーケースに当店自慢の『がおがおプリン』を並べる。

 ここまではいい。問題はそのあと。閉店? 明日? 何かの冗談か? エイプリルフールならもう半年も前に過ぎているぞ。

 数秒考えてから、篠目景虎は内心の焦りを隠すように質問する。挙手。

 

例②)がおがおの冒頭(in王佐の語り手)

「突然ですが、モーニングは明日閉店します」

(そうなのか。それは大変だ)

 篠目景虎は、店長の言葉に唖然とした。

 いつものように私服からウエイター服に着替え、ショーケースにモーニング自慢の『がおがおプリン』を並べていた。

 そんな矢先に言われた言葉だ。驚かないはずがない。

 数秒ほど考え、景虎は内心の焦りを隠すように店長へ質問した。

 

どうだろうか。

例①はめっちゃ読みやすい。遠野が一番好きな文体です。眠くならない。

例②は眠い。サクサク読めない。コメディなのに硬い。

 

解説をすると、この時の景虎の心情は『表面上はクールに取り繕う俺。しかし脳内は大パニックだ』という感じです。

なのでノリが良い例①は、景虎の脳内パニックをダイレクトに語ってくれています。しかも「挙手」という合いの手まで入れてきている。(実際は手をあげていない)

一方、ノリが悪…いえ、根が真面目な例②は、後半部のパニックを冷静にうまくまとめてくれています。うん。全然パニック度合いが伝わってねぇ。コメディなのに。

 

と、いうわけで。こんな風に王佐の語り手が、がおがおを語るとコメディなのに真面目になります。そして逆に、がおがおの語り手が、王佐の話を語るとシリアスな雰囲気がぶち壊しに…。やはり、語り口調は大切だなと再確認しました。

 

以上、素朴な疑問でしt……いやまだです!

最後に、一人称ってさ誰に向けて語っているの?

これ考えるとメタです。ゲシュタル二倍増しです。三人称はひとまず物語を誰かに語っているのはわかるが一人称。独白かと思いきや、読者にわかるように説明をしてくれているし、リポート式なのかなあれ……。

 

以上、今度こそ素朴な疑問でした。つづく。