三人称の小説って、2パターンありますよね。
近い視点と、遠い視点。(個人的な感覚)
近い視点は純粋に主人公の目で見たもの、もしくは主人公のすぐ側から見た書き方です。遠いのは別空間にいるイメージ。心の距離が遠いやつ。たとえるなら、
例1)ゼノ、花園にて(近いやつ)
その途中、廊下から美しい庭園が見えた。
(なんの花だろ)
そこには色とりどりの花々が咲いていた。
蝶が舞い、花びらが風に踊る。まるで夢でも見ているかのような、その幻想的な光景に。つい、足を踏み入れてしまった。
「見事なもんだな」
いまは春の時期、多くの花が咲いているのも納得だ。よく手入れが行き届いていると関心していたら、なんとなく視線を感じた。
「……?」
ゼノは視線の方向を見た。そこにいたのは青い髪の少女だった。
こういうやつです。あ、ちなみにこれ。いまの連載分よりちょっと先のやつです。
続いて、視点が遠いやつ。
例2)遠いやつ
その途中に、美しい庭園があった。
なんという花だろうか。庭園には色とりどりの花々が咲いていた。
蝶が舞い、花片が風に踊る。まるでおとぎ話に出てくる、異郷のような光景だ。
ゼノは庭へ足を踏み入れ、「見事なもんだな」とつぶやいた。
いまは春の時期であり、多くの花が見頃を迎えている。よく手が届いているなとゼノが花園を眺めていると、その後ろで、彼に視線を向けるひとりの少女がいた。
「……?」
青い髪の少女だ。ゼノは少女をみる。
うーん。ちょっと読みにくい。目が滑る。
他人行儀で主人公に感情移入ができないし、この説明口調。庭が綺麗なのはわかった。でも、だからなんだよ、庭に対する感動が伝わってこねぇ!です。語り手さんが物理的も心的にも距離が遠い。とくに「彼」とか使われると、心の壁がズドーンです。
ではなにが違うのか?これは遠野調べですが、一般的に語り口には3つあるそうです。(※諸説ある)
①一人称。本人の目で見ている語り口。
②三人称近いやつ。主人公のスト…いえ、すぐ側で語り手が語っている視点
③三人称遠いやつ。見えない心の壁がある。(俯瞰視点ともいう)
さらに③には2パターンあって、登場人物の心情を語らない映画の観客視点と、誰の心も読めるぜ、エスパー視点というものがあるのだとか。前者は事実のみを語り、心情は…推測で話すのかな?後者は心を読んできますし、先の展開もネタバレしてきます。恐ろしいですね。
それを踏まえると、がおがおは③でかつエスパー視点でしょうか。景虎の視点でもありますが、どちらかというと『モーニング』というお店の日常譚を俯瞰して見ている、という構成です。だから景虎以外の、小萩や月ちゃんにスポットをあてた話もゴロゴロ入ります。さらに語り手の謎の例え話も入ります。
逆にゼノは応援型。②です。たまに③も入る。ゼノとともに物語の真相を追っていくイメージです。RPGでいう、プレイヤーでしょうか。
なので、序章は③に近いですが、本編は主人公の視点を語り手の言葉で代弁しつつ進みます。(ときおり、俯瞰視点になりますが)
主軸はゼノ。敵側などのパートは幕間程度に入っているという構成の予定です。そうじゃないと話が進まないため、他のキャラは番外編とかで書く感じです。
描き方はたくさんあるそうですが、絵がない分、小説は表現が大変だなと。
そんなお話でした。つづく。