(約6000文字)
ユーハルド王国、グランポーン地方ベール村。
アルヴィットは畑にいた。
「今年も大量だな。うぐ、気持ち悪……」
前も後ろも一面赤い果実の木々たち。
ここはアルヴィットの実家がある村、ベール村のリンゴ畑だ。昔から見慣れたこの赤園は、落ち着くと同時にめまいがする複雑な光景だった。
「あーあ。しばらくこれ食わされるのか……」
本当にげんなりする。
農家あるあるではあるが、畑でとれた果物や野菜にはひとりあたまのノルマがつく。収穫する数じゃない。食べるほうのだ。
収穫した農作物というのは、そのすべてが出荷されるわけではなく、傷の具合で売り物にならないものはあれば、もとより村で食べる分というのもあるのだ。リンゴ自体は加工しやすく保存もきくため、ノルマといってもせいぜい一日一個くらいではあるが──
(まぁ一個……だけだったらいいんだけどな)
実はもっとある。あくまで一個というのは個別のノルマ。つまり。
(朝にリンゴパン、昼食にリンゴジュースとリンゴしか入っていないフルーツサンド、夜はリンゴサラダに、焼きリンゴ、リンゴのリゾット……。 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご…………!)
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
気が狂いそうなフルコースが食卓へのぼるのであった。
そんなアルヴィットをよそに、王子とフィーはせっせとリンゴを収穫している。
「見ろフィー、余はこんなにたくさん採ったぞ。すごいであろう」
「すごい」
背中にカゴを背負い、自慢気にそう話すのはアルヴィットが仕えるライアス王子だ。その傍らで王子の護衛であるフィーが収穫したリンゴをその場で食べている。
「おいしい。ライアスもリンゴ」
「おお、ありがとう。そうだな、せっかくだ。ひとつ貰おう」
シャリシャリとした音がふたりから聞こえてくる。
(ひぃっ! その音! 体がかゆくなる)
なぜリンゴはシャリシャリと鳴るのか、最大の疑問を浮かべながら、目の前の果実を収穫していく。
さて、どうしてアルヴィットの実家に王子が来ているのかというと、それは──
「三週間ほど、お休みをいただいてもよろしいでしょうか」
豊穣祭も終わり、今日も変わらず王子の勉強をみていたある日。そういえばそろそろ実家に戻る時期だなと思い、アルヴィットは休みの打診をすることにした。
「それは構わぬが……ずいぶんと長いの? 避暑休暇にはまだ早いぞ」
避暑休暇、それは七月から八月からとれる長期的な暇だ。もっとも、王子付き補佐官であるアルヴィットにはないもので、主にメイドや下級文官たちに与える褒美的なものである。
「私の出身村はリンゴ畑を生業にしておりまして、この時期は応援に行くんですよ」
「そうか……たしか、そなたはグランポーン地方の出身だったか」
「はい」
「ふむ。わかった。明日から暇をやろう」
「ありがとうございます」
通常ならば、忙しい官職の身で長期の休みは取れない。だがこのユーハルドにおいて、グランポーン地方の出身者は農業を営む家のみ、実家の収穫期にあわせて休みを融通してもらえる。数十年前、国政の管理を中央で一括することになり、その際に王が当時のグランポーン侯と決めた制度のようなものだ。
「しかし明日からとは、そんなに急でよろしいのですか?」
「構わぬよ。見ての通り暇だしの」
「それはそうですけど……」
机のうえの本を見る。『やさしい歴史』、『ハルド王の伝説』──
「…………」
すぐに休みを取れるのは嬉しいが、いつも暇という事実が突き刺さる。心中複雑だった。
──ぐい。
「?」
留守の間、王子への課題は何にするかと考えていたら、突然フィーが服を引っ張ってきた。
「フィーも」
「え?」
「フィー、リンゴ好き」
「うん? そうなんだ」
「一緒にいく」
「は⁉」
フィーはそう言うと尻尾をぱたぱた振って、アルヴィットを見た。
「えっと……」
「あぁ、そういえばフィーはリンゴが好きだったな」
「ん」
(それはさっき聞いた)
「よしわかった。ならば余も行こう」
「え!」
予想外の展開がふってきた。
「ちょっ、待って! 困りますけど」
「別によいだろう? たまには田舎で自然を感じるのも一興だ」
王子はうんうんと頷いている。
(えぇぇ……)
王子が村にくるとなれば一大事だ。ここは大人しく城にいてほしい。
「いや、ほんとに何もない村ですよ? リンゴしかないですし」
「問題ない。余もリンゴは大好きだ」
問題はある。
(王子の外出とか警備が大変なんだよ!)
「さてそうと決まれば、さっそく準備をするかの」
「待って! 土産なら──」
いくらでも持って帰りますから、そう言おうとしたのだが、なんかもうふたりとも出掛ける支度をするために、自室へ戻ってしまった。図書室にはアルヴィットひとりが残される。
「………………村になんて説明しよう」
流石に王子が来たとなれば大騒ぎだ。とはいえ黙っていてもどうせ気がつく。なぜなら自身のことを『余』などという一般人がいるだろうか、いない。この際に変な口癖も直してもらうかと思いながら、アルヴィットは警備の手配をするべく申請書を書くのだった。
「お兄ぃ──! 今日はもう終わりだよ────‼」
遠くでアルヴィットの妹、ククが叫んでいる。リンゴ畑はかなり広いのだ。
「終わりか。王……いえ、ライ。そろそろ切り上げましょうか」
「そうか、ほらフィー戻るぞ」
「ん」
先ほどから何個目だろうかフィーはリンゴを口につめこみ、王子は収穫物を乗せた荷車に乗り込んでいる。『ライ』というのは王子の偽名だ。バレるバレないはともかくとして、体裁は大切だ。
「あの、その荷車、俺が引くんですけど。どいてください」
「なんだ、アルヴィットは力が無いの。もう少し筋力をつけよ」
(どの口が言うんだろうか)
そういう王子こそ体力がない。この場は歩いてもらうことにして家に戻ることにした。
リンゴ畑から三キロ歩いたところにアルヴィットの実家はある。徒歩三十分くらいだ。
意外と歩くので、フィーはともかく王子はバテている。
「つ……つかれた」
王子は家に入るなり、椅子に座って机に突っ伏した。
「お疲れ様です。ライさん。フィーちゃんも、よかったらこれ食べて」
そう言って、フィーにクッキーを渡すのは妹のサラ。勿論、リンゴ入りのクッキーだ。
そこに、「おねぇちゃん僕たちもー」と言って双子の弟と妹がくる。多いので整理すると、ラーツ家長女サラ、十七歳。次女クク、十三歳。続いて双子の次男ルカ、三女ミルカ、九歳。アルヴィットを入れて、計五人兄弟だ。
「あれ? 母さんは?」
「お父さんのお墓」
ククが答える。
(またか…………)
父親が死んでからというもの、母はよく墓地に赴く。普段は明るい人なのだが、墓の前に立つ母はとても暗い。アルヴィットとしてはそんな母を見るのは辛く、正直にいえば、あんな父親のことは忘れて、誰かよい相手と再婚でもしてほしい。
「あー、じゃあ。夕飯食べようか」
「今日の料理はなんだ?」
王子もフィーも席につき、サラが出す料理を心待ちにしている。
「今日はリンゴのリゾットと、焼きリンゴと、リンゴのキッシュよ」
昨日食べた。いや、キッシュは違うが、でもやっぱり全部リンゴだった。
(帰りたい……)
ここに着て三日目となる。一日目は夜についたので、食事は馬車でとり夕飯は免れた。よって昨日の朝からこのリンゴ地獄を味わっている。アルヴィットにとってリンゴは小さい頃から気が狂うほど食べさせられていたので、見るのも口に運ぶのも嫌だった。
「あ、俺の焼きリンゴ食べる?」
「たべる」
フィーにあげた。こんなことならイリスもつれてくれば良かったかと思いながら、リンゴのキッシュに手を伸ばす。アレは塩気のあるものは食べないが、甘いものに限ってはフィーに負けないくらい食べる。
「ただいまー」
「「「「「おかえりなさい」」」」
兄弟全員が同時に振り向く。母が帰ってきたらしい。
「あ! リンゴのキッシュ! お母さんの大好物だ」
やったーと言って、居間に入ってきた母はキッシュを立ち食いする。
「お母さん、行儀が悪いよー」
ククが母へ席にすわるよう誘導する。母は元々この地方の名家のお嬢さんであり、父親とは駆け落ち同然でこの村へやってきた。そのためか、けっこう抜けているところが多い。
「そういえば、アー君たちはいつまでこっちにいられるの?」
「一週間くらい。あと母さん、アー君はやめて……」
流石に王子たちがいる前でその呼びかたはやめてほしい。目の端でリゾットをふきだす親衛隊員が見える。
「しかし今年は不作だな。あまり実がついてないみたいだ」
いつもなら、もう少し取れるはずだが、今年は昨年に比べて七割くらいしか取れそうにない。
「今年はね、モグラが多いんだよ」
リゾットを食べながら答えるクク。
「モグラが?」
「うん。そのせいで木が倒れちゃって栄養がうまくいかないみたい」
「あーなるほど……そりゃあ厄介だな」
モグラは地面に穴を掘る。地中に空洞ができれば木は傾く。だが、それはそこまで問題じゃない。一番の問題は、彼らが持つ鋭い爪で木の根を切ってしまうことだ。その結果、木は倒れ、栄養も行きわたらなくなり、下手をすると枯れてしまう。
「お兄たちも気をつけてね? モグラは危ないから」
「わかってるよ、十分注意するさ」
──バン!
「お兄! 大変っ」
村に来て五日目の昼。これまたリンゴだらけの食事をしていたら、ばたばたと外から妹が帰ってきた。
「なに? クーちゃん」
「気持ち悪い呼び方しないでよ!」
怒られた。冗談だったのに。
「どうした?」
ククはひどく焦った様子だ。
「もぐらがっ、もぐらが出たの!」
「? そんなのいつものことだろ?」
もぐらといえば、つい先日話題にのぼった田畑を荒らすアイツだ。適切な対処を取れば、そんなに焦るものじゃない。
「違うの! たくさんいるの! 二十匹くらい!」
「は⁉ なんでそんなに」
基本的にモグラは単独で行動する。縄張り意識が強いとかで、集団で集まることは無いらしい。以前読んだ図鑑に書いてあった。
「わからないけど、いっぱいいるの! はやくきて!」
「あ、ああ……わかった。そんなら王子とフィーはここで──」
「もぐらだと⁉ あの愛いやつか!」
王子がとつぜん食い気味に話へ入ってきた。
「余もみたい! フィー行くぞ!」
「いやいや、危険ですよ! ライさんとフィーはお留守番! お兄だけはやく!」
「ふたりとも絶対に外へ出るなよ? 危険だから家にいてくださいね?」
アルヴィットは家の中に置いてある釣り具を持って外に出る。
「お兄、いそいでっ」
「わかってるって」
ククのあとをついて、畑へ走る。
モグラが一度に出たとなれば大変だ。下手をすれば収穫量がかなり減ってしまう。
なぜなら、やつらは──
「うーわ、今年のはでけぇな」
そう、大きいのだ。ざっと、イリスくらい。頭の大きさから推測するに体長四十㎝あるだろうか、茶色の生物が地上から顔を出している。
「あれ、釣り糸切れない?」
「大丈夫。みんなちゃんと釣れてるみたい」
確かに、ひょいひょいモグラが釣れている。とはいえ、引き上げるのに苦労しているのか、一人が釣って、一人が網棒を構えている。
(まぁそうなるよな)
「おー、アルヴィット。来るのが遅いぞ? もうじき釣りも終わってしまう」
村長がこちらにやってきた。
「じーさん、畑に出たらまた腰痛めるぞ?」
「年寄り扱いするなぁ!」
ふがふがと怒る村長。そう言われても、昨年の時も腰を痛めていたしなぁとアルヴィットは思いつつ、糸に餌をつけて近くのモグラ塚にたらす。
「クク。お前は家に戻ってろ。結構大きいから近づくなよ」
「う、うん。気を付けてね?」
ククは釣り上げられるモグラを見て怖がっている。いつもならあと一回り小さい。といっても、王都で見かけるものよりも元から大きいので、小さいとはいえないのだが。
「……食べられたら嫌だよ?」
「縁起の悪いこと言わないの!」
そんな不吉なことを言いつつ、ククは家の方角へ走っていった。
「ほほ、可愛いの。兄を心配しおって」
「いや、心配の仕方がちょっとアレなんだけど」
洒落にならないこと言われると目の前のモグラが怖くなってくる。
なにせこいつらは、肉食なのだ。
「ぎゃぁぁぁぁ、噛まれたぁ」
向こうの方で悲鳴が聞こえる。
(王子置いてきてよかった……)
モグラといえば、地中でミミズだの虫だのを食べる生き物だが、あの大きさだ。地中では餌が足りず、ときおり穴に落ちた小動物を食うこともある。流石に人が落ちるほど、穴は大きくないが、うっかり足でも入ると洒落にならない。なので農作業時は鉄製の長靴を履くのが決まりだ。
「それにしても、なんでこんなにたくさん出るんだ? モグラは集団で行動しないだろ?」
「さぁのう、ヌシでもいるのかの」
「ヌシ?」
そんな話は聞いたことがないが。
「補佐官殿!」
突然かけられた大きな声にアルヴィットは振り向く。
「補佐官殿、王子は……あ、いえ! ライ様はご実家に?」
(思いっきり、王子って言ってるし)
目の前にいる、まさに新人君という感じの男はライアス王子付き親衛隊の副官だ。隊長であるフィーの代わりに、書類仕事や他の隊員への指揮を任されている。
(あれ?)
そう考えると、フィー仕事してなくて? とも思ったりするのだが……。
(まぁ彼女はすぐ傍で王子を守るのが仕事だから……)
常に自由なフィーを思い出しつつ、目の前の男を見る。赤毛のくせ毛に茶色の瞳、幼く見える彼はこうみえてもアルヴィットより二つ年上だったりする。
「カイルさん……足、もぐらがかじってますけど」
「え? うわぁ! あっちに行けっ」
彼はブンブンと足を振り回してモグラを引き離そうとしている。モグラは離れまいとズボンに鋭い爪を立て、くっついている。
「副隊長────!」
他の隊員たちが彼の足からモグラを引きずる。
「いやーすみません。お見苦しいところを」
ありがとう、と言って彼は他の隊員たちにモグラ釣りの続行を指示する。
「それは大丈夫ですけど、手伝わせてしまってすみません」
「いえ! これも王子の安全のためですから!」
ぐっと、拳を握って誇らしげに答えるカイル。
(また王子って言ってる……)
彼は、なかなかに天然らしい。
「それからアルヴィット殿。前にもお伝えしましたが、敬語など要りませんよ。あなたは我々の上司でもあるのですから、どうぞカイルとお呼びください」
そう言って、騎士の礼をとる。
(ああ、そこでしゃがむと、また……)
「うわぁぁぁぁぁぁ」
言わんこっちゃない。またかじられている。
王子が誘拐された事件以来、彼は、というより親衛隊から、なぜか厚い信頼を寄せらているらしいアルヴィットは、いちおう立場上は彼らの上に位置する。とはいえ、新参者の身であり、年が上である彼にどう接するべきか悩むところがある。
(まぁ本人がいいって言うならいいか)
彼がそう言うならと、敬語を外すことにした。
「え……とじゃあカイル。鉄の長靴履けよ。村の連中に言えば貸してくれるからさ。つけないと危ないって」
「なるほど! だからみなさん、戦に出るような靴を履いているのですね!」
「そういうこと。でももう、あらかた釣り上げたし、もう終わりでいいだろ。なぁ村長?」
「そうじゃのぉ。おーい、みんなー、そろそろ収穫に戻るぞぉー」
てきぱきと村の人たちは釣り具を片付ける。捕まえたモグラは森に持っていき、放してやるのが決まりだ。
(森に連れてく係のやつ可哀想)
モグラがこれでもかというほど荷車に乗っている。餌には眠り薬を混ぜていたので、いまは眠っているようで大人しい。とはいえ、はやく地中へ返してやらないと駄目なので、連れていくにもスピード勝負だ。
「じゃあカイル」
「はい! なんでしょう」
「村の人と一緒にモグラ運んで。俺は怪我した人の手当手伝うから」
「了解であります!」
カイルは荷車の元へ走り、アルヴィットは怪我人の手当を手伝う。やつらは、鋭い爪を持っているので、捕獲時に切りつけられることがある。猫にひっかれるよりもはるかに痛い。
「さてと、早いとこ収穫終わらせて王都に帰らないと」
いくら仕事が来ないとはいえ、そう長く王都を空けるわけにはいかない。とくに王子が城にいないのはよくない。そう思っていると、
「でかいのがきたぞー」
ざわざわとした周りの声に振り向くと、やばい大きさのモグラがそこにいた。
つづく!