2020/5/29投稿の後半分(3500文字程度)
ソレはいた。
きらきらと七色に輝く毛並みに、金色の瞳。
にゃーんと鳴いて、ソレは机の上を陣取っていた。
「いた…………」
「いたな」
そう狐が。
「…………………………え?猫じゃないの?」
「猫」
フィーが答える。でもソレはどう見ても狐だった。確かに小柄で、全体的に丸いフォルムのソレは、ぱっと見なら猫にも見えるが……狐だろう。鼻先が尖っているから。だけど、にゃーにゃーと鳴いている。どっちだ?
「えっと、あれなに? 猫? 狐?」
「犬じゃないか?」
それはない。どうみてもどっちかだ。
よくわからないが、アレをどう捕まえるかが、いま最大の課題だ。
奴はカリカリと余りものの菓子を食べている。十時のおやつだったクッキーだ。
(ほんとにクッキー食ってる……)
「よし、余が捕まえよう!」
王子がソレに向かって、じりじりと歩み寄る。
「駄目だ! 待て!」
「にゃーん」
アルヴィットの声も虚しく、ソレはささっと、机から降りて逃げてしまった。
「だから言ったのに……」
「くっ……! 流石に素早いか。あと少しだったのだが」
当然だ。だって猫だし。王子は全力で悔しがっているようだ。
(なにが『くっ……!』だよ。全然惜しくない)
猫的なソレはアルヴィットの足元をすり抜け、廊下へ走る。
「って! 廊下に逃げちっまったじゃねぇか! おい、おうぞ王子!」
ソレを追って、アルヴィットたちもバタバタと廊下を走る。
奴は軽やかに走り、スルスルと人の合間を抜けていく。
「あーくそ! 速い! 追いつけん!」
はぁはぁと息が切れる。王子にいたってはついてきていない。フィーがかろうじで奴に追いついている。
「おーい! 誰か! その猫捕まえて!」
アルヴィットは叫ぶ。
「猫? 君はなにをやっているんだ」
書庫の前で息を整えていると緑が話しかけてきた。
「げ、緑……」
「緑っていうな!」
緑……もといペリードが書庫からあらわれた。手には書類の束を持っている。
(仕事か。いいな。いや俺も仕事中だけど)
「どうした? そんなに息を切らして。まさかとは思うが、猫を追いかけて遊んでいるんじゃないだろうな? まったく羨ましいね」
(仕事中……だよ)
奴を追いかけたくても体が動かないので、しばし休憩がてら、ペリードに話を振った。黙っていると、さらに嫌味を言われそうなので。
「あ、そうだ……おま、え姉とか……はぁ……いる? さっき廊下で…げほっ、第二おうじょ……みて……」
だが、息が絶え絶えだった。そんなアルヴィットをなんだこいつ……という目で見ながらも
「あぁ、それは僕のいとこだろう。ちなみにうちは男三人兄弟でね」
と、誰も聞いていない情報までくれたペリード。そんな彼をよそに、親戚全員髪が緑なのかなぁ、など考えていると、やっと王子が追いついてきた。
「アルヴィット!」
「王子、遅いですよ。猫なら向こうに……はっ、行きました」
「そうか…? はぁ、疲れた。ほんとうに、素早いな」
それもあるが、王子が遅いだけというのもある。どちらにせよ、ふたりとも息切れ状態だ。
「これは、ライアス殿下。お初にお目にかかります。わたくしはペリード・ラン・ベルルークと申します。サフィール殿下の補佐官でございます」
ペリードが王子に挨拶をする。
「ほう、ベルルーク家の」
(いやいや悠長に挨拶してる場合か!)
そうだ、奴を追わないと。フィーが追いかけているだろうが、急がないとまずい。
「そういうの、あとでいいから。早く、猫、猫捕まえて!
おい、ペリードお前も手伝え」
ペリードのマントの端をつまんで走る。
「ちょ、アルヴィット、僕は仕事が」
「いーから、これはルベリウス殿下のご指示だ」
「は? 第一王子の?」
ばたばたと三人で廊下を走る。目の前の角を曲がり、噴水がある庭に出た。
「こっち!」
フィーが奴から数メートル離れて、アルヴィット達を呼んでいる。
「よくやった、フィー!」
どうやら猫的なソレは、何か食べているようだ。動きをとめて夢中になっている。
「よく足止めできたな」
「これ、フィーの。投げたら出てきた」
そう言って彼女はポケットから飴玉を取り出す。飴も食べるのかあいつ。
「して、どうやって捕らえる?」
呼吸が落ち着いたらしい王子が言う。
「どうって、言われても……かなり素早いから、四方から囲って捕まえるしか……」
「なんだあの猫を捕まえたいのか? だったら網か何か使えばいいだろう?」
そんなことをペリードがいう。
「駄目だ。網なんか使って怪我させたらどうする。上に怒られるぞ」
「う……」
「とりあえず、四人いるんだ。全員で囲って、少しずつ距離を詰める。そんで、俺が合図するから、合図とともに飛び掛かれ。そうすりゃ誰かひとりくらい捕まえられるはずだ」
◇◇◇
太陽が昇りきった午後二時現在。
ターゲットは腹が膨れたためか、その場でのんきに眠っている。
それを三メートル離れた距離から囲う。
「一歩ずつ、静かに近寄れ! いいか、間違っても焦るなよ」
アルヴィットの指示通り、全員で少しずつターゲットへにじり寄る。
「そこ、前に出すぎ! もっとゆっくり」
「う、すまない」
ペリードが足を遅くする。
「なぁアルヴィットよ、もう少し近くから囲っても良かったんじゃないか?」
「ばっか、奴に気取られたどうする。眠ってるんだ。遠くから行った方がいい」
大声で話している時点で気取られているのでは……と王子がぶつぶつ呟いてるが、そんなことはない。
ゆっくり、ゆっくり近寄る。
二メートル、一メートル……。ターゲットの耳がピクっと動いた。
〝ストップ〟
アルヴィットは大きく手を振り、指示を出す。全員その場で停止する。
(起きた様子は……ないな)
軽く身じろいだだけのようだ。変わらず丸くなって眠っている。
だが、油断はできない。動物は音に敏感で小さな物音も見逃さないから。
(ここからが大勝負だ……)
全員に目配せをする。皆が力強く頷く。
時はきた。全員の心が通った今、
(せーの……)
「つかまえろ──────‼」
合図とともに一斉に飛び掛かる。
「に゛!」
潰れたような声で鳴くソレ。
「やった! 捕まえたか⁉」
あたりを見るアルヴィット。
────だが、奴を手にしている者はいなかった。
「くそ! 駄目だったか」
おしい、非常に惜しかったと嘆く王子。なぜ僕がこんなことをと肩を落とすペリード。特にいつもと変わらないフィー。それぞれ、悔しい気持ちを胸に次の策を考える中──
「ほう、これは珍しい猫だ。どこの飼い猫だ?」
そんな声が聞こえた。
◇◇◇
誰かがソレと会話している。
「にゃーん」
「ん? この菓子が欲しいのか?」
「にゃーん」
「よいぞ、さぁ食べるといい」
「……………………」
男は緑のマントを風にたなびかせ、ソレにクッキーをあげていた。魚の形をした、紫色のクッキー。どんな着色料を使っているのだろうか。
外見は十代後半、長めの金髪を後ろでくくり、顔は良く見えない。大きめのシルクハットを被っている。
「エラルド!」
王子が男に声をかける。
(エラルド……?)
「は! 第三王子……!」
アルヴィットの隣でペリードがビシッと立ち上がる。
その男はユーハルド王国の第三王子、エラルド・リム・ユーハルドその人だった。
「エラルド王子? 初めてみた……」
そう、彼はほとんど城にいない。先の姫のように病弱ともなれば頷けるが、そういうわけではない。噂では、かなりの変わり者で、あちこち絵を描くために旅をしているとかなんとか。
(確か王子と同い年の……)
「戻ってきておったのか、エラルド」
「うん? おお、その顔はライアスじゃないか!。ひさしぶりだな!」
「うむ……最後に会ったのは三ヶ月ほど前だったか?」
「そうだな、エラルドは昨日までベルルーク地方の湖にいたのでな!」
「殿下、我が父の領地にいらしたのですか。これは光栄な」
「うん? 貴様は……なるほど! 侯爵の息子か!」
ははは、父君に似て美しい緑髪だな! とエラルド王子はペリードに声をかけている。
(どうしよう。くそどうでもいい話はいいから、足元の奴を捕まえたい)
彼らが話に花を咲かせているところ、アルヴィットはソレをどうするか考えていた。
逃げる前に捕まえなければ。
「あの……すみません。そちらの猫をですね。捕まえたいのですが……」
「ん? 誰だ突然」
「あぁ。そうだった、エラルド。余たちはその犬を追ってきていたのだがな、素早くて困っていたのだ」
(犬じゃないってば)
「なんだ、それなら」
そう言って、ひょいっとソレを持ち上げるエラルド王子。
(つ、つかまえた!)
ものすごく、あっさり。今までの苦労はなんだったんだと思うくらいに。
(嘘だろ……こんな簡単に……)
それまでの疲れがふきだし、がくっと膝から崩れ落ちる。
こうして、アルヴィットたちの猫捕物劇はあっさりと幕を閉じるのだった。
そして後日──
「にゃーん」
「…………………………」
この猫狐を飼う羽目になろうとは、今のアルヴィットはまだ知らない。
つづく!